最近の歴史觀をめぐる判決について(十六)



辯護士  高池 勝彦    

一、中國人勞働者損害賠償請求事件京都地裁判決

  前囘に引き續き、中國人勞働者損害賠償請求事件京都地裁判決について述べる。

(3)裁判所の判斷
 原告らの安全配慮義務違反の主張について
  (1)被告会社(日本冶金株式會社)が安全配慮義務を負っていたかどうか
  (2)被告国が安全配慮義務を負っていたかどうか
   安全配慮義務とは既に何囘も述べたやうに(特に四月號)、「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として,一般的に認められるべき義務である」。
 (1)の會社側の安全配慮義務について、會社側の、安全配慮義務が現行憲法の規定により認められるもので、大日本國憲法の下では勞働契約上の附隨義務としての安全配慮義務は存在してゐなかつた、その上、そのやうな義務が認められるとしても、原告等の待遇は、當時の日本國民の勞働條件と比較しても、ことさら原告等の生命・健康を損ふやうなことをするはずがない、といつた主張を一蹴して、會社で働かせてゐたのであるから、「原告ら6名との間で,同人らが被告会社のために継続的に労務に服すべき労働関係を設定したものというべきである。そうであれば,被告会社は,故意の不法行為によって上記労働関係を形成,維持したものであるから,ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入ったといわなければならず,したがって原告ら6名に対して安全配慮義務を負うものというべきである。」と判斷した。
 (2)の國の安全配慮義務については、次のやうに述べて反對の判斷をした。
   強制連行によって大江山鉱山に閉じこめ,労働を強制される状態に追い込んだものであるが,両者の接触関係はその限度であって,被告国が原告ら6名に対し具体的な就労内容等を指示して労働被告国は,原告ら6名を本件させる関係を設定したものではなかったから,被告国と原告ら6名との間には,安全配慮義務を生じるような特別な社会的接触はなかった。

以下の爭點について、前月號では若干誤植があつたので、以下のやうに訂正する(3、4とすべきところを括弧書にした)。
  3 原告らが,被告会社に対して,賃金請求権または
   同額の不当利得返還請求権を取得するかどうか

 4 被告会社の時効援用が権利濫用となるかどうか

 5 原告らが国際法に基づいて損害賠償請求権を取得
   するかどうか

  6 原告らが,ポツダム宣言受諾後の保護義務違反及
   び新たな不法行為に基づく損害賠償請求権を取得
   するかどうか

 7 原告らが,本件当時の中華民国民法に基づいて,
   謝罪広告掲載請求権を有するかどうか

3について
 判決の結論は次のとほり。

 被告会社は,契約を締結することなくして,原告ら6名との間で,同人らが被告会社のために継続的に労務に服すべき労働関係を設定したものである……。また,被告会社が,大江山関係中国人の供給について華北労工協会と契約した契約の内容には,被告会社が各中国人労働者に1日5円の賃金を支払うべき定めが存在したことも,既に認定したとことである。しかし,それだけのことで,原告ら6名が被告会社に対し日額5円の賃金請求権を取得する事実上の賃金支払関係が生じることになるものではない。(略)賃金支払義務を負わない被告会社は,原告6名に対し不当利得の返還義務を負うものというべきであり,その額は1日当たり5円を下ることはないというのが相当である。

4について

 3の不當利得返還義務について、會社側の時效援用が權利濫用となるかどうかについての判決の結論は次のとほり。
 
 行為の時から約50年が経過して不法行為責任が消滅し,債務不履行による損害賠償請求権あるいは不当利得請求権の発生から約40年が経過し,日中平和条約からでも約20年が経過した後に,訴えが提起された本件について,被告会社の時効援用を濫用とすべき事情はないといわざるをえない。よって,被告会社の上記各債務は時効によって消滅した。

5、6、7についても、裁判所は簡單な理由を述べていづれも認めなかつた。

(4)論評

 本件判決で、從來の判決と異なるのは、從來の國家無答責の原則が本件の場合には適用されないとしたことである。
 澤山の事件を積み重ねることによつて、まづ、安全配慮義務で、突破口を開き、除斥期間の適用を排斥し、國家無答責の原則を排除した判決があらはれてきた。
 また、本件判決は、會社側に安全配慮義務と不當利得返還義務をも認めてゐる。
 原告等にしてみれば、國及び會社が、原告等をいかに極惡非道な状況においたかを認めてくれたのに、最後の損害賠償をまつたく認めなかつたのであるから、これはなんだといふことになるかもしれない。しかし、判決でも述べられてゐるやうに、原告等は、日本の辯護士が中國へ行つて原告等を説得して裁判を起したものと推測されるので、判決が我が國の戰爭に至る、また戰爭中の政策がきはめて、惡質殘虐なものであることが認定されたので、原告等の代理人辯護士にとつては、實質勝訴といふことになるのではなからうか。
 度々述べてゐるやうに、このやうな論理はきはめていびつである。
 法律上の專門的な條件があるので、やむを得ない場合があるとはいへ、一般論としては、判決は、一般人をすなほに納得させるものでなければならない。
 何十頁にもわたつて、國や會社の行爲が極惡非道であり、原告等にはそれに對して請求權が認められると詳細に認定しておきながら、しかし、時效により、なんの補償も認められない、といふのでは、原告等本人つまり本件では一般の中國人は、日本裁判制度はをかしいと思ふであらう。さうして、我が國は、戰爭の清算を誠意をもつて行はない、裁判ではなく、政治の力でやるべきだといふことになるであらう。現に中國や韓國北朝鮮との間ではそのやうな政治状況になつてゐる。これが原告等代理人の政治的なねらひかもしれない。本件のやうな判決は、それに裁判所を加擔させる結果になるであらう。
 この判決の判斷がバランスを缺いてゐると、私が思ふのは、詳細に、國や企業の不法行爲を認定しながら、一方、我が國は戰後處理を十分に行つてきたと判斷してゐる部分である。この戰後處理についての判斷はもちろん正しいし、正當であるが、さうであれば、なぜ、それ以前の國の政策や行爲を詳細に彈劾する必要があるのであらうか。

二、中國人勞働者損害賠償請求事件東京地裁判決(注)

前號で、爭點についての判斷に問題のある判決を二つ紹介するとして、前囘と今囘とで、京都地裁判決について述べたが、もう一つは、これから述べる東京地裁判決のつもりであつた。それはこの二つの判決がはじめて國家無答責の原則を排斥したと新聞記事で讀んだので、そのやうに書いたのであるが、よく讀んでみると、これから述べる東京地裁判決は國家無答責の原則を排除した點を除いて、きはめて適切であり、この種の戰後補償に關する法律的な意味で模範的な判決である。
 ただ、法律的な意味で模範的な判決といふことは、それ以上でもそれ以下でもないといふことである。將來言及するつもりでゐる立派な判決と比較すると、感情がこもつてをらず、この東京地裁の判決はさういふ意味の「良い」判決ではない。法律論からして模範的といふ意味で良い判決である。

 (1)事實の概要
  
原告は、河北省出身の中國人六十名、被告は國の他、企業十社(株式會社間組、古河機械金屬株式會社、鐵建建設株式會社、西松建設株式會社、宇部興産株式會社、同和鑛業株式會社、日鐵鑛業株式會社、飛島建設株式會社、株式會社ジャパンエナジー、三菱マテリアル株式會社)である。

 (2)爭點、裁判所の判斷、論評
   爭點は今まで述べてきた多くの判決と同樣なので、列擧するのは省略する。

この判決で、特筆すべきことは、今までの判決と非常に異り、原告等の事實の主張についてまつたく判斷してゐない點である。
 「理由」の表題のものとでずばりと法的判斷に入る。原告等の、國際慣習法に基く主張に對して、ただちに次のやうに述べる。

  原告らのこの請求が我が国において裁判上認容されるためには,まず,その主張する請求権の根拠とされる条約又は国際慣習法によって,原告ら個人を権利の帰属主体として,被告国に対する損害賠償請求権が付与されていること,すなわち,上記条約又は国際慣習法が訴訟物である損害賠償請求権の権利根拠規定足り得るものであることが必要である。
  これについて裁判所は内外の學説や判例を詳細に述べ、原告等の主張は失當であると結論する。

次に、原告等は、法例第十一條一項に基き、一千九百三十年中華民國民法が適用されると主張してゐるが、これも失當であるとした。
 ただ、被告國が「國家無答責」の原則を主張したのに對し、日本國内法を提供したと假定した場合どうなるかといふことで、判決は次のやうに述べて、やや曖昧ながらこの原則を否定した。

 「国家無答責」なる不文の「法理」が確立しているとの理解を背景として,上記のような解釈が採られていたことがうかがわれるものの,現時点においては,「国家無答責の法理」に正当性ないし合理性を見いだし難いことも,原告らが主張するとおりである。当裁判所が国家賠償法が施行される以前の法体系の下における民法の不法行為の規定の解釈を行うに当たり,実定法上明文の根拠を有するものではない上記不文の法理によって実定法によるのと同様の拘束を受け,その拘束の下に民法の解釈を行わなければならない理由は見いだし難い。そして,民法715条の文言上は,公務員の公権力の行使が同条の適用から排除されているとはいえないこと,行政裁判所法16条が「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セス」と規定しており,同条の規定は,実体法上は,公権力の行使に違法があった場合に国に対する損害賠償請求権が成立することを前提としながら,行政裁判所が損害賠償請求訴訟を受理しないという訴訟法上の定めを置いたものと解する余地もあることを考慮すると,国家賠償法施行前における,公務員の公権力の行使の違法を理由とする国の責任についても,民法715条の規律にゆだねられていたものと解する余地がないとはいえない。

 しかし、判決は國家無答責の法理を否定したとしても二十年の除斥期間が經過してゐるとの理由で、原告等の請求は認められないとした。さうであれば、國家無答責の法理について、右のやうに分析する必要はなかつたのではないか。しかも、この點は、從來の判決と異るのであるから、なほのことそこまで言及する必要はなかつたと思ふ。

第三に、原告等の、國や企業による安全配慮義務違反の主張については、原告等の主張を逆手に取つて、次のやうに判斷してゐる。

安全配慮義務の考え方は、……私法上の直接の契約当事者の関係にある者に限らず,第三者を介して実質的に契約当事者類似の関係にある者や,公法上の法律関係に基づき契約類似の関係に入った当事者間においても,信義則上,契約上の債権債務と同様の規範を設定し,その違反を債務不履行として規律するものであって,このように直接の契約関係には立たない者の間において契約責任を設定する機能を有する点で,狭義の契約責任の主体の範囲を実質的に拡大する側面をも有するものである。したがって,安全配慮義務は,当事者間に,直接の雇用関係がない場合であっても,直接の契約関係にあるのと同視し得るような「ある法律関係に基づく特別な社会的接触の関係」が存在する場合,すなわち,雇用契約に準ずる法律関係に基づき,一方が他方の直接的な指揮監督,支配管理の下で労務を提供するなど,事実上の使用従属関係にある場合にもこれを認めることができるものの,上記のように,安全配慮義務が契約規範に基づく義務であり,同義務違反による損害賠償請求権が債務不履行に基づく損害賠償請求権の性質を有するものである以上,直接の契約当事者ではなく,しかも,雇用契約に準ずる法律関係に基づく使用従属関係もない当事者間においては,安全配慮義務違反の有無が問題になる余地はない。上記のような法律関係が存在しない場合にも,特定人に他人の安全を保護するための法的義務が課される場合があるが,このような法律関係は,一般の不法行為法によって規律されるものと解すべきである。
    (中略)
 原告らは、……原告らを日本軍又は傀儡政府によって強制的に拉致,連行した上,日本国内の被告企業の各事業所において強制的に労働させたと主張しているのであるから,原告らと被告国との間には,何らの法律行為が存在しないことを主張しているものとみざるを得ない。
   (中略)
 原告らの主張は,原告らはその意思に反して,被告企業の各事業所において,強制的に労働に従事することを余儀なくされたと主張するものであって,原告らと被告企業との間に生じた社会的接触は,安全配慮義務の発生が問題となる雇用契約関係又はこれに準ずる法律関係に基づくものではないと主張するにほかならない。原告らがその意思に反して,被告企業の各事業所者において,強制的に労働に従事させられていたとの事実関係の下において,被告企業が原告らに対して負担する義務のいかんは,まさに,不法行為規範を適用して判断すべきものといわざるを得ず,原告らの主張は失当である。 

 判決は、原告等の、國會の立法不作意による主張、賃金請求、不當利得返還請求、名譽囘復措置請求いづれも認められないとした。
 最後に判決は、原告等の變つた請求について判斷した。その請求は、國が、中國人の強制連行や強制勞働の事實を隱蔽しようとした、それは國による不法行爲であるといふ主張である。
 この主張は、判決によれば、口頭辯論を十一囘行つて辯論終結豫定の際、原告等は、擔當裁判官全員を忌避し、忌避が却下された後の辯論期日で、突然主張したのである。その上、これは、專門的なことであるが、請求の基礎に變更をきたすものであり、また著しく訴訟手續を遲滯させることになるから不適法であるとして認めなかつた。

東京地裁平成十五年三月十一日民事第二十五部判決。判例集にまだ搭載されてをらず最高裁のホームペイジによる。

辯護士  高池勝彦