最近の歴史觀をめぐる判決について(十)



辯護士  高池 勝彦    





  前囘は、劉連仁強制連行・強制勞働損害賠償請求訴訟の一審判決を途中まで述べた。引き續いてこの一審判決(注一)について述べる。



(3)裁判所の判斷



  3の安全配慮義務について、本件とは離れるが安全配慮義務とは何かについてここで觸れておく。 雇傭關係にある使用者が被傭者の勞働災害について責任を負はなければならない場合があることは從來から認められてきた。しかしそれが「安全配慮義務」といふ言葉で確立されたのは昭和五十年の自衞隊車輛整備工事件(注二)であるといはれてゐる。 昭和四十年七月十三日、自衞隊八戸駐屯地方第九武器隊車輛整備工場において車輛整備中、大型自動車の後車輪で頭部を轢かれて即死した自衞隊員の遺族が、昭和四十四年に自賠法の運行供用者責任を追及して國に訴訟を起した。 一審の東京地裁は消滅時效を認めて原告敗訴。二審の東京高裁では、控訴人は國の安全配慮義務を追加して主張したが、自賠法については一審どほり、安全配慮義務違背の主張については、特別權力關係(注三)であるとの理由で認めなかつた。
  最高裁は、「国は、公務員に対し、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設もしくは器具等の設置管理又は公務員が国もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたって、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負っているものと解すべきである。」といつて、國の安全配慮義務を認め、「右のような安全配慮義務は、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上義務として一般的に認められるべきものであ」ると述べてゐる。
  本件では、裁判所は、劉の「昭和鉱業所における強制労働については、被告と甲太郎の間に、雇用関係あるいはこれに準ずるような法律関係の存在は認められないし、被告が昭和鉱業所の施設、器具等を設置管理し、甲太郎の行った労務を支配管理していたものとも認めらないから、結局、原告らの主張するような被告の安全配慮義務は認められない」と判斷した。



  4の國家無答責の原則が認められるかどうかについては、次のやうに判斷してゐる。現在の國家賠償法施行以前において、國の權力作用に基く行爲による損害については、一般的に國に損害賠償責任を認める法令上の根據が存在しなかつたのであるから、國の責任は認められない。したがつて國家無答責の原則が適用される。
  原告側が、本件の強制勞働は、「国民動員計画に組み込まれた労働力の募集、使役行為であり、徴兵、徴用、刑罰としての懲役といった公権力の行使とは異なり、その法律関係自体は私法的な法律関係であると主張した」が、裁判所は、「被告が甲太郎を強制連行し、強制労働をさせたことは、前記認定の事実から明らかなとおり、日本政府が太平洋戦争の遂行に当たって採った国策であり、被告が甲太郎を強制連行し、強制労働をさせた行為自体は国の権力作用に基づく行為に他ならないのである。」とした。
  以上の結論はいづれももつともであるが、日本政府の政策を強制連行強制勞働と決めつけてゐるのは問題である。



  5の國家賠償法に基づく損害賠償請求權以下の論點については、重要であるので、項を改めて論ずる。





(4)國家賠償法についての裁判所の判斷(先行行爲に基づく作爲義務)


  イ 救濟義務の有無
  今まで述べてきた原告側の主張も國家賠償法に關係するものであるが、ここでは、國が逃亡を續けてゐた劉を救濟しなかつたことが違法であるかどうかである。判決を引用する。

  この点に関しては、原告らは、被告が国家賠償法一条にいう違法行為行ったことを主張するものであるところ、本件で原告らが違法行為であると主張しているのは、被告が甲太郎を強制連行し、強制労働に服せしめたという先行行為を行いながら、一方で北海道内を一三年にわたって逃走することを余儀なくされた甲太郎個人に対する救済義務を怠ったという不作為である。そうすると、そのような不作為を違法と評価するためには、被告国の公務員に一般的にそのような作為義務が認められることに加え、被告国の公務員においてそのような作為義務を怠ることによって、甲太郎の生命、身体の安全が確保されない事態に至るであろうことが相当の蓋然性をもって予測できたことが必要と解すべきである(引用略、注四)



  そこで、判決は、國が國家賠償法施行の時點で劉に對する一般的な救濟義務を負つてゐたといへるかどうか檢討し、終戰直後の中國人勞働者の歸國などの業務などを述べて、次のやうにいふ。   ポツダム宣言受諾後、連合国軍司令官の間接管理方式の下にあった被告は、終戦直後に調印した降伏文書により、現に日本国の支配下にある一切の連合国ふ虜(ママ)及び被抑留者を直ちに解放し、その保護、手当て、給養及び指示された場所への即時輸送のための措置を採ることを命じられ、そのためのこれらの者の所在を示す表の作成も命じられていたのである。そして、一方で、昭和一七年閣議決定による行政供出の方法によって、太平洋戦争の遂行という目的のために、国策として、その意思に反して強制的に日本国内に連行され、強制的に労働に従事させられた者については降伏文書に調印することによって、これらの者を強制連行した目的自体が消滅したと言えることからすると、被告は、降伏文書の調印とそれに伴う強制連行の目的の消滅によって、事柄の性質上当然の原状回復義務として、強制連行された者に対し、これらの者を保護する一般的な作為義務を確定的に負ったものと認めるのが相当である。



  判決は、この救済義務は、厚生省の援護業務の擔當部局の職員にあるとし、その「職員がこのような作為義務を負ったと認めることは、前記のような本件作為義務の特殊性を考慮した、いわば解釈による擬制であり、法令に明文の規定がないことや、実際にそのような業務を行った実績がないといったことによって上記認定が左右されるものではないと考える。」とまでいひ切つてゐる。


  ロ 結果豫測の蓋然性
  厚生省の擔當官が、劉の、逃亡による生命、身體の安全が脅されてゐたことを、相當の蓋然性をもつて豫測することができたかどうかについて、次のやうに判斷してゐる。 原告側提出の證據によれば、「華人勞務者就勞顛末報告書」といふものがあり、そこには、劉が脱走し、行方不明である旨の記載があるから、外務省の擔當官は、劉が北海道内で逃走し、行方不明となつてゐることを知つてゐたことが認められるとし、したがつて、「被告が自ら国策として行った強制連行、強制労働に由来し、その現状回復ともいうべき性格を有する本件救済義務の特殊性に照らすと、戦後の混乱期という特殊事情を考慮してもなお、……甲太郎を保護する一般的な作為義務を負っていたと認められる被告の厚生省の援護業務担当部局の職員は、幸太郎が逃走を余儀なくされた結果、その生命、身体の安全が脅かされる事態に陥っているであろうことを相当の蓋然性を持って予測できたものと認めるのが相当である。」と判斷した。


  ハ 被害との相當因果關係
  判決はいふ、「厚生省の援護業務担当部局の職員は、甲太郎が四名の中国人労働者と逃走したことを知り得たのであるし、……四名が……次々と発見され、中国に送還されいることからしても、これらの者から事情を聴取するなどし、あるいは警察等の援助を得ることによって、早期に甲太郎を保護することができた可能性を否定することはできないから、前記甲太郎に対する保護義務の懈怠と甲太郎が北海道内を逃走することによって被った被害との間には相当因果関係を肯定できる」と。

  判決は、國家賠償法第六條にいふ相互保證については、中華人民共和國の國家賠償法にも我が國の國家賠償法第一條と同樣の規定があるから、認められるとする。 新島漂着砲彈爆發事故事件の判決を前提とし、國の訴訟對應を考へればこのやうな判斷になるとは思ふが、次に述べる除斥期間との關係では私は異論がある。



(5)民法第七百二十四條後段の適用の有無
  民法第七百二十四條後段は、損害賠償の請求は、不法行爲のときから二十年を經過したときには請求できないと定めてゐる。この規定が國家賠償法第四條に準用されてゐる。 この二十年が時效期間なのか除斥期間なのかの爭ひがあり、原告側は時效期間であると主張したが、通説判例は除斥期間であり、本判決でも除斥期間であるとした(注五)
  この二十年の起算點をいつにすべきかについて、原告側は、平成七年三月九日であると主張した。この日は、中國の錢基泓外相が中國の全國人民代表大會において、對日戰爭賠償問題について、昭和四十七年の日中共同聲明で放棄したのは國家間の賠償であつて個人の賠償請求は含まれなとの見解を示し、補償の請求は國民の權利であり、政府は干渉すべきではないとした發言によつてはじめて原告の權利行使可能性が生じたからだといふのである。また、原告側はサンフランシスコ平和條約附屬議定書(注六)を引合に出して、日中平和友好條約が締結された昭和五十三年十月二十三日まで本件損害賠償請求權に關する除斥期間は進行しなかつたとも主張した。

  しかしながら、裁判所はこれらの主張を排斥し、「除斥期間の起算点が不法行為時であることは、条文の文理上明らかであり、……権利行使可能性の観点から解釈することはできないと言わざるを得ない。……除籍期間の性質とその意義に照らせば、甲太郎の法意識、経済状況、あるいは中国国内における政策的な事情はもとより、日本との国交正常化がなされていなかった等の事情についても、これが除籍期間の進行を妨げる理由にはならないというべきである。」と斷定した。
  中國の外務大臣の演説が除斥期間の起算點となるといふやうな荒唐無稽の主張をきつぱりと排斥するなど、この結論ももつともである。



  しかし、この後で、裁判所は劇的などんでん返しを喰はせるのである。このどんでん返しについては次囘。



  注一 東京地裁平成十三年七月十二日民事第十四部判決、判例タイムズ一〇六七號百十九頁。



  注二 昭和五十年二月二十五日最高裁第三小法廷判決、民集二十九卷二號百四十三頁、判例時報七百六十七號十一頁



  注三 特別權力關係とは、憲法學上に用ゐられる用語で、一般には次のやうに解されてゐる。 憲法には基本的人權の規定がり、一般國民は國に對して基本的人權を享受する。これは國家と國民との一般的權力關係といふ。これに對して特定の個人が特別の法律原因に基いて一定の範圍内において、國家または公共團體に對して、特別の從屬關係に立つ場合がある。これを特別權力關係といふ。例としては、受刑者の拘禁や傳染病患者の強制入院などのやうに法律の強制による場合と、公務員となる場合のやうに自由意思による場合とがある。 最近ではこの理論は、國家をあまりに特別視して人權尊重の精神に反するとして「特別の公法關係」とよぶやうになつてきた。また、このやうな特別の關係を一切認めない學説ももちろんある。



  注四 ここで判決が引用してゐる最高裁の判決について、重要なものなので簡單に解説しておく。 これは、新島漂着砲彈爆發事故上告審判決であり(昭和五十九年三月二十三日最高裁第二小法廷判決、判例時報一一一二號二十頁、判例タイムズ五二四號九十九頁)、海岸に打上げられた舊陸軍の砲彈を、海岸で焚き火をしてゐた中學生が焚き火の中に投入れ、砲彈が爆發し、中學生が死傷した事件で、警察官が砲彈の囘收等の措置をとらなかつたことが違法とされた事件である。ただこの判決には、警察は、台風で打上げられた砲彈類を囘收したり、島民に對し砲彈類を發見したときは屆け出をするやうによびかけたり、小中學校でそのやうな指導を行ひ、海水浴シーズンには海岸をパトロールなどして危險防止措置をとつてゐた、また新島では砲彈類による爆發事故が過去一度もなかつたことなども考へると警察の囘收義務を擴大し過ぎではないかとの批判もある。



  注五 一般の讀者のために、除斥期間と時效期間の違ひについて述べる。兩者とも權利の行使を制限する期間であることは同じであるが、時效には中斷があるのに對し、除斥期間には中斷がない。時效は利益を受ける當事者が援用しなければならないのに對し、除斥期間は當事者の援用がなくても權利の行使がもはや許されないものとして裁判できる。 また援用とは、その旨主張することであり、中斷とは、權利者が權利を行使したり、時效を援用する側で權利者の權利を承認した場合、時效の期間が振出に戻ることをいふ。つまり十年間の時效期間があつたとして九年目に中斷があれば、時效が完成するにはまた十年を必要とするといふ意味である。 兩者の理論上の區別は明確であるが、法律上の、ある權利の制限期間が具體的に時效か除斥期間かの解釋については爭ひがある場合があり、難しいことがある。



  注六 附屬議定書「B 時效期間」第一項において、人又は財産に影響する關係で、戰爭状態のために自己の權利を保全することができなかつた議定書の署名國の國民の訴の提起又は保存措置をする權利に關する全ての時效期間又は制限期間は、戰爭の繼續中はその進行を停止したものとみなし、平和條約の效力發生の日から再び進行しはじめる、旨の規定がある。



辯護士  高池勝彦