福田恆存「開會に當つて」

開會に當つて

福田恆存

  私たち――ことに私などは生來口がよくない。惡くはないのですが、よくはない。自分ではそれほどに思つてゐなくても、とかく相手を傷けるやうなことをいふものですから、國語問題でも評判が惡いのです。これも文藝批評をやつてゐる癖で、文士仲間では相手の作品にけちをつける場合に、面と向つてでも隨分ひどいことを言ふ。「お前さん何だつて小説なんか書くのだ。小説さへ書かなければいい男なのになあ」といふやうな調子で國語問題でもやるものですから、相手はみんな紳士ばかり、いや、紳士のつもりでゐる人達ばかりですから、「あいつはいかん」といふことになり、感情的だといふ批判を受けます。しかしこれは決して感情的なのでなく、話を面白くするためには惡口を言はないと仕樣がないと思ふから、何時もその癖がついてゐるわけです。ただ感情的であることはいいことか惡いことかと言ふと、それはまた別問題で、私は惡いことだとは思ひません。政治問題でも何でも感情的といふことを惡口に使ひますが、さういふ人たちもとどのつまりは自分の方が感情的に納得しないと、いくら立振な理窟でも受入れはしないのでして、最後は感情が物を言ひます。みんな感情を軽蔑したり無視したりする風潮があるくせに、自分の感情といふものを整理し切れてゐず、それに左右されてゐる。隨つて人間が感情に左右される動物であり、今の自分がさうだといふ事に氣附かずにゐるといふわけです。
  國語問題においてもさうであります。言葉といふものは感情拔きに存在し得ないし、考へられもしないといふ事が國語問題の一番大事なことではないでせうか。これは時枝先生が後でおつしやるかと思ふが、先生もその點を強調していらつしやいます。言葉自體が元來感情的なものですし、それから私たちが使つて来た言葉に對して、私たちは感情的にならざるを得ないのです。惡いもいいもないので、言葉を論理や理知の世界でだけ受取つてゐたり、あるいは言葉をさういふ風に扱つてゐると考へたら大間違ひです。人間は昔から言葉を感情と結びつけて語つて來てゐるのです。隨つてそれに對して他人が手をつけると、自分の感情が害されるわけで、それを國語國字の改革をやる人々は平氣でやつた、その事に對して私たちの反撥があるわけです。隨つて私たちの反撥の根幹は感情にあると申せませう。その事を私はただ論理的に説得してゐるだけの事です。時にわざと感情的な言葉を使ふだけの事で、あくまで論理的に色々相手の非を言ふわけです。結局は他人の感情に立入るなといふ一言だけです。
  早い話、具體的な例を一、二觸れますと、現代かなづかひでは「さしずめ」といふ時は「ず」、「すしづめ」といふ時は「づ」を書けと言ふが、これはどういふわけかと言ふと、「すしづめ」　といふ時は「すし」と「詰める」といふ二つの言葉が合はされて出來たのだといふ二語意識を私たちは持つてゐる、ところが「さしずめ」の場合はそれを持つてゐないと言ふ。しかし、「さしずめ」は「さす」といふ言葉と、「詰める」といふ言葉の二語が合はさつて「さし詰め」となつたもので、この場合に二つの言葉を分析する感覚が、一般大衆にないと決めてかかる事は、これこそ正に私たちの意識や感情に立入ることです。
  この一般大衆といふのは、國字國語改革論者の合言葉みたいなもので、彼等は必ず一般大衆のためと言ふ、が、それはおためごかしで、實は一般大衆を始めから軽蔑してゐるのです。一般大衆には「さしづめ」といふのが二語の連合で出來てゐるといふ語意識がなく、「すしづめ」程度の場合にはそれがあるのだと、勝手に役人が決めてかかつてゐる。

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  結局、國字國語問題といふのは、部分的にあれがどうのこれがどうのといふより、根本にさういふ精神の持ち方、まともに國語なり言葉に附き合つて行かうといふ態度が缺けてゐるといふ事が問題なのです。明瞭の「瞭」の字は要らないと思つてゐる。なぜ要らないかと言ふと、「明らか」とか「はつきり」と言ひ直せるから、といふ風に言ふのですが、さうすると一つの意味を表はすには一つの言葉があればいいといふ事になりますが、實際にはいくつかの言葉が出來てゐるのは、それらが同じ一つの意味ではないからで、澤山のそれぞれ達ふ意味があるから出來てゐる、それが似たやうなものは一つのものにしか見えなくなつてゐるといふ事は、言ひかへれば、明瞭と言ひたい時の氣持、はつきりとか明らかと言ひたい時の氣持の差が見えなくなつてゐる、隨つてさういふ言葉を使ふ人の色々の細かい心づかひに附き合つてゐないといふ事です。それが自分の鈍い、痲痺した感覺でもつて全部割切つてゐるといふこと、そこに一番今日の國語問題の憂ふべき事態があるのだと思ひます。   （評論家・本會常任理事）

（ふくだ・つねあり。大正元年生、平成六年沒。昭和三十五年十二月、名著中の名著『私の國語教室』を上梓、同書は爾來四十餘年の風雪に堪へ、現在も「文春文庫」で刊行中である。戰後の誤つた國語政策を匡すために、昭和三十四年、小汀利得氏らと國語問題協議會を設立、常任理事を務めた。「感情的といふこと」とでも題すべき本文は、『私の國語教室』刊行一年後の、昭和三十六年十二月九日に開催された同協議會主催第三囘講演會の開會挨拶の抄録であり、『國語問題協議會十五年史』（昭和五十年刊）に所載されてゐる。著作權者の同協議會の許可をえて掲載）