高池 勝彦
「蝶々夫人」との出会ひ
クラシック音楽好きだつた父の影響もあり、私は子供の頃からラジオや図書館でのレコード鑑賞会(昭和三〇年頃はかういふものがあつた)などでクラシック音楽を聴いてきました。主として交響曲や室内楽が中心でオペラは多くなかつたのですが、その中で「蝶々夫人」は、私が最初にレコードで聴いたオペラの一つです。それは全曲ではなく、抜粋でした。
戦前の東京の家には蓄音機があり、父はレコードの収集家であつたらしいのですが、長野のはづれに疎開した時にはもうそんなものは既に売り払はれてゐて、私がクラシック音楽を聴くことができたのは、もつぱらラジオやレコード鑑賞会だけでした。ちなみに私がはじめて観たオペラは、小学校か中学校時代に長野市で上演された團伊玖磨の「夕鶴」。母親の女学校時代の音楽の先生であつたといふ木下保が与ひやうで、おつうが大谷洌子でした。
大学時代も音楽会によく通ひましたが、オペラは現在ほど頻繁に上演されてゐなかつたこともあり、数はさう多くはありません。その中でも、二期会の「蝶々夫人」を観たことは覚えてゐます。ただ、誰が何を歌つたのかさつぱり記憶がありません。レコードで聴いたのに比べると、長くて退屈で、「ある晴れた日に」とかハミングコーラスとか、その他いくつか出てくる日本のメロディーは良かつたのですが、それ以外はあまり引き込まれませんでした。プッチーニの他のオペラ、「トスカ」や「ラ・ボエーム」に比べると全体に散漫な印象があり、その上、筋や内容に荒唐無稽のことが多く、ついていけなかつたのです。
ライトさんとの出会ひ
ところが、二十数年前、私は、サンフランシスコ近郊のスタンフォード大学ロースクールに留学し、そこで、メイプル・ライトさんといふおばあさんと知り合ひました。ライトさんは我々外国人学生の世話をするボランティア活動をしてゐましたが、何かと私に目をかけて下さいました。もう七十歳を過ぎてゐましたが自分で車を運転して私を買ひ物に連れて行つてくれたり、私の家族、とりわけ、零歳と四歳の二人の息子を自分の孫のやうに可愛がつてくれました。
ライトさんは、幕末にわが国と英国との貿易に尽力したトーマス・グラバーの孫でした。つまり、ライトさんの祖母は日本人なのです。ライトさんはご主人と早くに死別し、子供もなく、一人暮らしでした。日本の領土であつた朝鮮に生まれ、東京の聖心女学校を卒業してイギリスへ帰り、学業を続けた後、結婚してアメリカのシアトルで暮らしました。ご主人が亡くなった後は、アメリカ国務省に就職し、朝鮮戦争後の韓国やその他各国で働いて、スタンフォード大学のあるパロアルトで引退生活を送つてゐたのです。
知り合ひのアメリカ人は、ライトさんが蝶々さんの孫娘だといひました。私も、トーマス・グラバーの妻ツルが蝶々さんのモデルだといふ話は聞いたことがありました。私がそのことをライトさんに話すと、それは違ふと言ひましたが、長崎のグラバー邸の保存状態などには非常な関心を持つてゐました。
プッチーニの理想の女性蝶々さん
それから私は、オペラ「蝶々夫人」にそれまで以上の関心を持ち、機会がある度に観るやうに努力しました。ニューヨークへ行つた時、たまたまニューヨーク・シティ・オペラが「蝶々夫人」を上演してゐました。ただ、登場人物が本来は草履でなければならないのに下駄を履いて出てきたり、やはり演出には違和感を覚えました。今回、カラヤン指揮によるLD(ドミンゴ、フレーニ主演)を引つぱり出して何度も見ましたが、歌唱や演奏は素晴らしいのですが、当時の欧米の演出は日本人の目からみると滅茶苦茶です。
「蝶々夫人」は、アメリカの弁護士ジョン・ルーサー・ロングが、宣教師の妻として日本に滞在したことがある姉からの聞き書きをもとにして余技で書いた小説をオペラ化したものであるといはれてゐます。ツルはグラバーの正式の妻として何人かの子供を育て、その中からライトさんといふお孫さんも生まれてゐるので、オペラの蝶々さんとは境遇がまつたく異なります。
しかし、十数年前に訪れた長崎のグラバー邸の眺望は「蝶々夫人」の舞台となるにふさはしいもので、オペラの物語を彷彿とさせます。また、戦前に世界的なプリマドンナとして活躍、プッチーニ自身をして理想の蝶々さんと言はしめた三浦環の自伝を読むと、このオペラがいかに世界中で受け入れられてきたかがわかります。プッチーニも自身自分の書いたオペラの主人公の中で、蝶々さんに一番愛着を抱いてゐたといひますが、この美しい音楽を聴くとうなづける気がします。
我々は、「トウーランドット」が歴史上の実際の中国の話とは受け取らずに素直に素晴らしいオペラだと思つて観るやうに、「蝶々夫人」も、十九世紀末の実際の日本の風俗が演じられてゐるのではないと思つてみれば、素晴らしいオペラです。「蝶々夫人」は、最初は入りやすいが途中没入するのに難しく、それを乗り越えれば、美しい旋律やその悲劇性に素直に酔へるオペラであることがわかります。
ライトさんは、一昨年の十二月六日に、九十八歳で亡くなりました。私は、都合がつかず、葬儀には出席できませんでしたが、葬儀の世話をして下さつた、引退したスタンフォード大学の教授夫妻が今年三月末に日本を訪れ、ライトさんについて語り合ひました。私にとつて、このオペラはライトさんの思ひ出とともにあります。
私のお薦めCD
並々ならぬ推進力で一気呵成に聴かせでくれるシノーポリ盤をお薦めします。中でもフレーニの円熟の名唱は聴きものです。その他にも、蝶々さん役をマリア・カラスが歌つた録音や、ピンカートンにブラシド・ドミンゴやルチアーノ・パヴァロッテイを擁したものなど名盤も多数あり、選ぶのに本当に困つてしまひました。ただ、もう一点是非お薦めしたいのは、少々古くなつてしまひますが(1958年)、トウリオ・セラフィン指揮、蝶々さんにレナータ・テパルデイ、ピンカートンにカルロ・ベルゴンツイといふ録音です。
ユニバーサル(ドイツ・グラモフォン)POCG-3491
税込み ¥5、505[収録1987年]
指揮 ジュゼッペ・シノーポリ
管絃楽 フィルハーモニア管弦楽団
【蝶々さん】ミレッラ・フレーニ
【ピンカートン】ホセ・カレーラス
【スズキ】テレサ・ベルガンサ
【シャープレス】フアン・ポンス
(産經新聞社發行「モーストリー・クラシック」平成十五年八月號所載。掲載時の現代假名遣表記を「正かなづかひ」に改めた)
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