戦後の漢字への対応

土 屋  道 雄   


   一頃漢字は機械化には不向きであり、いづれなくなるだらうと言ってゐた学者が、この頃はワープロの宣伝に一役買ったりしてゐる。パソコンやワープロの普及に伴ひ、文書の作成が容易になった半面、効率よく正確な文書を作成するために、今まで以上に漢字を自在に使ひこなす能力が求められてゐる。
   漢字についてのアンケートを見ると、大半の人が漢字の重要性や必要性は認めながらも漢字はむづかしい、面白くない、苦手だと答へてゐる。その原因は今日までの、殊に戦後の国語改革、国語教育にあると言へよう。
   常用漢字一九四五字を音と訓の数によって分類すると、音のない漢字が四〇字、訓のない漢字が何と七三八字もある。その中には「胃、腸、肉、線」のやうに、音がそのまま訓の働きをしてゐるものもあるが、訓なし漢字がこれほど多いのは、戦後音訓整理と称して訓を制限したからである。しかし、訓なしだからと言って、その漢字を使ふ以上、その漢字の意味を知らなければ正しく使ふことができないのであるから、要らざる制限をしたものと言はざるを得ない。
   意味のない漢字はなく、その意味が訓であることが多い。訓のない漢字で、どうしても短い和語で意味を表せないものは別として、例へば復の「かへる」、視の「みる」、容の「いれる」、圧の「おさへる」のやうに短い和語で意味を表すことのできるものは訓として採り入れる方がどれほど教へやすく、学びやすいか知れない。この意味を教へないで「往復、復旧、復帰、視力、正視、監視、容器、収容、容認、圧力、圧迫、制圧」等の熟語を理解させることはむづかしい。
   また訓があっても、その訓だけでは不十分なものがある。例へば原は「はら」の訓しか認められてゐないが、「もと」といふ意味があることを教へないで「原形、原科、原文、原案」等の熱語の意味を理解させることはできない。それなら、初めから訓として教へればよい。それが道理といふものである。
   戦後教育を受けた若い人達が、江戸以前の古典はもとより、明治以降の夏目漱石、森鴎外、島崎藤村の作品すら読みにくいと感ずる主な原因が戦後の字体改革にあることは疑ひない。新字体が公布されてから五十余年になるが、一刻も早く新字体を廃棄して正字体に統一すべきであらう。画数が多いと記憶するのがむづかしく、書くのに手間取るといふ主張は、ワープロの普及によって根拠を失ってをり、読む側にとっては画数の多寡は問題ではない。
   正字体から一点を省いたり、一棒を省いたり、全く無意味な変革としか言ひやうのないものがかなりあるが、それよりも何よりも気に入らないのは部首を破壊したものが少なくないことである。「賣」は「販、貯、買、賦」などと同じ貝部にあったが、「売」としたため所属不明になった。他にも酉部の醫を医、火部の榮を栄、口部の單を単、入部の兩を両、臼部の舊を旧、皿部の盡を尽、士部の壽を寿、田部の當を当、骨部の體を体、止部の歸を帰にしたため所属する部首が分らない。
   その上、例へば「廣拂、學單榮」など、本来別の漢字の構成要素であるものを「広払、学単栄」などにしたために、体系的な学習を困難にしてゐる。更に、もともと別字でそれぞれ用途のあった藝と芸、缺と欠、豫と予、餘と余などを後の字に統一したことも無神経に過ぎる。
   新字体がつくられたことによって、正漢字は不当な圧迫を受けてゐるが、決して正字としての権成を失墜したわけではない。今なほ正字体の本が出版されてをり、正字体による過去の文献がすべて無価値になったり、不要になったりするとも考へられない。結局、新字体を放擲しない限り、国民は二重の負担に耐へて行かなければならないことになる。
   数へ方により多少の違ひはあらうが、常用漢字一九四五字の中に、新字体は五四五字ある。そのうち正字体と新字体で見た目にそれほどの違ひがなく、即刻正字体に復しても読むのに差し支へないと思はれる漢字が四五〇字ほどある。従って、残りの一〇〇字足らずの漢字を改めて学習すれば、全面的に正字体になっても困らないことになる。その一〇〇字*にしても、少なくとも高校を卒業した者であれば、漢文でほとんど目に触れてゐる筈であり、読むのにさして困難はないと思ふので、日本文化の継承といふ面から考へても、早急に正字体に復するやう願って止まない。



(初出は「文字鏡研究會論文集」。著書に『漢字の常識が身につく本』(知的生きかた文庫、三笠書房)、『ワープロ時代の漢字常識』(三一書房)、『小原台の青春 ―防衛大学生の日記―』(高木書房)、『日本のこころ』(高木書房)等、多數が ある。本文の著作權は筆者土屋道雄が保有する。無斷轉載を禁ず)


* 因に、戰後略字と大幅に字形が異なると思はれるヽヽヽヽ本字を、編緝子が大雜把に數へてみたら次の一〇二になつた。これから、區(区)、毆(殴)、樞(枢)、驅(駆)や濟(済)を外せば九七となる。


壓圍醫壹驛圓鹽應毆假價畫會繪擴嶽罐歸戲舊據擧區驅藝縣獻顯廣鑛號國濟蠶絲辭實寫釋壽肅處稱證疊觸盡圖樞聲竊攝纖雙總屬續體臺瀧擇擔膽團癡蟲晝鑄廳聽遞鐵點轉傳當黨獨讀貳蠻濱拂佛邊變瓣辯辨寶萬譯與豫餘亂禮勵戀爐樓灣