『語源入門』のための序章 ― 古典への誘ひ ―


土 屋  道 雄   



   現代人はかけがへのない日本語をどうしてもつと大切にしないのか。あまりにも粗末に扱つてゐはしないか。新約聖書のヨハネ伝に「太初に言あり。言は神と偕にあり、言は神なりき」とある。
   日本では『万葉集』の山上憶良の長歌「…倭の国は皇神の厳しき国、言霊の幸はふ国と語り継ぎ言ひ継がひけり…」(日本は皇神の威光があまねく行き渡つてゐる国で、言葉の不思議な力が幸をもたらす国であると語り継ぎ言ひ継いできた)とある通り、言葉の持つ霊力、神祕的な力を感じて言葉を大切にしてきた。
   現代の若い人たちに言靈を感じてもらふには、『古事記』『万葉集』等の古典を学ばせるに限る。私が国民学校(小学校)三年の時のことである。ある日、担任の粉川栄先生が「大きくなつたら、ぜひ『古事記』を読みなさい。『こじき』といつても『乞食』ではありません」と言つて、黒板に「古事記」といふ文字と「乞食」といふ文字を並べて大きく書いた。
   教育とは実に不可思議なもので、他のことは何一つ憶えてゐないのに、なぜかこのことだけは妙にはつきり記憶してゐて、その後『古事記』といふ言葉に接するたびに、粉川先生を懐かしく思ふと同時に、早く『古事記』を読まなければと思ひながら、全文を読んだのは大学を出てからであつた。
   私も粉川先生にならつて、若い人たちにぜひ『古事記』を読みなさいと言ひたい。そこには史実であるとかないとかいふ穿鑿を超えた何かがある。理窟抜きで、われわれの心に響くものがある。そんな思ひから、昭和三十九年に『古事記』のほぼ全部と『日本書紀』の一部を中学生にも読めるやうにやさしく訳して、池田書店から『日本の神話』として出版した。
   私はその「はじめに」の冒頭に「神話は民族の産声であり、民族の心のふるさとです。この日進月歩の世の中にあつて、やれ古事記だの、やれ神話だの、そんな古めかしいものを読むひまはない、などと言はないで、現代がせかせかした世の中であればこそ、古めかしいものを読む必要があるのだ、と考へていただきたい。さあ、しばし民族の産声に耳をかたむけ、心のふるさとを訪れようではありませんか」と書いた。
   三十一文字の和歌にあつては、一字たりともおろそかにできない。正に言霊の世界である。『万葉集』は質においても量においても、その後の歌集を圧倒してゐる。短歌が四千二百余首、長歌が二百六十余首、旋頭歌が六十余首、合計四千五百三十余首にもなる。五世紀前半、仁徳天皇の時代からおよそ三百年にわたる歌が集められてをり、天皇、皇后をはじめとする上層階級に属する人、有名な歌人にまじつて、東歌や防人の歌など、名もない庶民の歌も多く入つてゐる。
   『万葉集』の冒頭に出てくる「…この丘に菜摘ます児、家聞かな告らさね…われこそは告らめ家をも名をも」といふ雄略天皇の長歌を初めて読んだときの感動は未だに忘れられない。雄略天皇がたまたま見かけた菜を摘んでゐる娘に、家がどこかおつしやいな、名は何といふかおつしやいなと歌つてゐる。いかにも大らかで、素朴で、さはやかで、ほほゑましい。ここに私が求めてゐる日本の心がある、日本人がゐると思つた。
   昭和六十二年に私の監修で芳文社から漫画入りの『語源おもしろ話』が出版された。監修を引き受けたのは、言葉への関心を高めるには語源から入るのがよいのではないか、これこれの言葉はかうして生れ、こんなことからかういふ意味になつたといふルーツを知ることは、言葉を正しく使ふ上で有用であるばかりでなく、非常に楽しいことに違ひない、語源を知れば言葉に愛着を抱くやうになり、言葉を粗末に扱つたりしなくなるのではないか、それに、先人のものの考へ方がわかり、ひいては国民性や民族性を探る手がかりになるのでほないか、と考へたからである。
   古典を読むにはどうしても歴史的かなづかひを学ばなければならない。私はかねてより「現代かなづかい」を廃して歴史的かなづかひに戻せと訴へてきた。文化の断絶を何よりも倶れるからであり、語源を説明するには歴史的かなづかひによらざるを得ないからである。
   たとへば、泉は「出づ水」の意だが、これを「現代かなづかい」のやうに「いずみ」と書いたのでは「出ない水」になつてしまひ説明のしやうがない。西行に「秋の夜の空に出づてふ名のみして影ほのかなる夕月夜かな」といふ歌がある。秋の夜の月なのに明るく皓々と輝いてゐないといふのだが、この「出づてふ」を「出ずちよう」にしたら月が出ないことになる。「家貧しくして孝子出づ」といふ格言も、「孝子出ず」では反対の意味になつてしまふではないか。
   助詞一字でもいい加減に扱ふことはできない。よく引かれる俳句がある。
      米洗ふ前に蛍が二つ三つ
   右のやうに「前に」では、米を洗つてゐる前に蛍が止まってゐることになる。
      米洗ふ前を蛍が二つ三つ
   とすれば、蛍が目の前を「スースー」と飛んでをり、動きが生じ句が生きてくる。


   よく文法の教科書に出てくる「こそあど」言葉について、たとへば、
        この これ こつち こんな
        その それ そつち そんな
        あの あれ あつち あんな
        どの どれ どつち どんな
   のやうに「こ、そ、あ、ど」の持つ意味の違ひがはつきり出てをり、「こ」はすぐ近くにあるもの(こと)、「そ」はは少し離れてゐるもの、「あ」はかなり離れてゐるもの、「ど」は不明であるものを指してゐる。
   『平家物語』の巻十一に「おもしろい」の語源について、
   天照大神、天の岩戸にとぢこもらせ給ひて、天下くらやみとなつたりしに、八百万代の神たち神あつまりにあつまつて、岩戸の口にて御神楽をし給ひければ、天照大神感にたへさせ給はず、岩戸をほそめにひらき見給ふに、互にかほのしろく見えけるより面白いといふ詞ははじまりけるとぞうけ給はる。
   といふ説明が見られる。また『竹取物語』には、燕の子安貝だと思つて握つたところ、子安貝ではなく、
     燕のまりける糞を握り給へるなりけり。それを見たまひて、『あな、かひなのわざや』との給ひけるよりぞ、思ふにたがふ事をば、かひなしとは言ひける。
   と「かひなし」の語源を説明してゐる。
   話としては確かに面白いが、うかつに信用するわけにはいかない。今日まで様々な語源についての書物が出版されてゐるが、こじつけ、牽強附会が少なくない。科学的に実証することは無理だとしても、単なる思ひつきであつてはならない。なるほどと頷けるものでなければなるまい。


   洋画家として多くの傑作を遺した林武の父・林甕臣は『日本語原学』を著し一音一義説を唱へた。ただ、音の数が五十や六十では、一音に一つの意味しかないとすれば、多くのものを表すことはできない。当然ながら、二音でいくつかのものを表すだけでなく、二つとか三つとか、音を組合せることによつて、多くの物や事柄を表すことになる。
   たとへば「あ」は「私、あれ、足、案、畔、網」などの意味に用ゐられる。
     吾を待つと君が濡れけむあしひきの山の雫にならましものを (私を待つてあなたが濡れたといふ山の雫になれたらよかつたのになあ)
   右のやうに『万葉集』では私を「あ」で表してゐる例が九十余あり「わ」で表してゐる例が百五十近くあるが、『古今和歌集』では「わ」のみで「あ」の例は見られない。
   『万葉集』の「足」の例としては、
     足の音せず行かむ駒もが…(足音を立てずに行ける馬がほしいなあ)
   この「あ」と他の音との組合せでできた「跡」は「ア (足) ト (所)」の意、「鐙」は「ア (足) フミ (踏み)」の意、「足掻く」は「ア (足) カク (掻く)」 の意である。
   神話に出てくる男神のイザナキノミコトとイザナミノミコトの違ひは「キ」と「ミ」にあり、キは男性、ミは女性を表す。男性の翁を「オキナ」と言ひ、女性の嫗を「オミナ」と言ふことからも容易に理解できよう。
   なほ二神の「イザ」は「さあ!」と相手を誘ふ言葉であり、「ナ」は現代語の助詞「の」に相当する。「ミコト」は命令する人であり、イザナキノミコトは「さあ、と相手を誘ふ命令者」であり、イザナミノミコトは「さあ、と相手を誘ふ女の命令者」といふことになる。
   男女を示す「キ」と「ミ」についで使はれたのが「ヲ」と「メ」であり、たとへば雄牛をヲウシ、雌牛をメウシ、雄鳥をヲ(ン)ドリ、雌鳥をメ(ン)ドリ、牡瓦をヲガハラ、牝瓦をメガハラと言ふ。
   古い歌によく出てくる「エ」と「オト」について、エは「イイ」の古形で、長けてゐる、優れてゐる意で、弟から見た兄、妹から見た姉、また単に年上の意であり、オトはオトス(落す)やオトル(劣る)と同根で、弟は「オトヒト」の意である。
   また「セ」と「イモ」について、セは姉妹から見て兄弟の双方、夫、結婚相手の男性を持し、イモは兄弟から見て姉妹の双方、妻、結婚相手の女性を指す。


   日本語の文法は「五十音図」によつて活用や音便などが説明される。日本人の話す言葉がどうして「五十音図」のやうな整然としたものになつたのか、奇蹟としか言ひやうがない。しかも、各列には各列の、各行には各行の特徴がある。
   たとへば「カ行」の「キン、コン、カン」「カラカラ、コロコロ」と「タ行」の「チン、トン、タン」「タラタラ、トロトロ」では明らかに感じが達ふ。「ナ行」は「ヌルヌル、ヌメヌメ、ネチネチ、ネバネバ」のやうに「ねばつく」感じがある。「ラ行」は自然現象に関係があり、擬音語や擬態語に多く使はれる。「ゴリゴリ、ガラガラ、ビリビリ、クルクル、ヒラヒラ、スラスラ、キラキラ、ソロソロ」といくらでも挙げられる。
   「ラ行」の「る」は自づからさうなること、「サ行」の「す」は人がさうすること、たとへば、
        余る  移る  落ちる  崩れる  流れる
        余す  移す  落す    崩す    流す
   といふ風に使はれる。右の列は自動詞、左の列は他動詞である。
   「五十音図」の各列にも各列の特徴がある。感嘆詞一つにしても「アー」と「エー」と「オー」とでは明らかに違ふ。たとへば「アー、もう駄目だ!」「エー、もう食べちやつたの!」「オー、素晴らしい!」となる。「ヒー」「ヘー」「ホー」との間にも質の違ひがあり「ヒー、痛くて我慢できないよ!」「ヘー、本当なの!」「ホー、君が一人でやったのか!」といふ具合に使ひ分けてゐる。
   また「ア列」と「エ列」 において、たとへば、
        風上〈かぜかみ〉 → 〈かざかみ〉
        船人〈ふねひと〉 → 〈ふなびと〉
        稲葉〈いねば〉 → 〈いなば〉
        雨宿り〈あめやどり〉 → 〈あまやどり〉
        酒盛り〈さけもり〉 → 〈さかもり〉
        声色〈こゑいろ〉 → 〈こわいろ〉
   のやうに、みな「エ列」の音が同じ行の「ア列」の音に変化してをり、法則性が見られる。「イ列」と「エ列」から「ア列、ウ列、オ列」へは転音するが、その逆の「ア列、ウ列、オ列」から「イ列」と「エ列」へは転音しない。
   なほ「声」が「こゑ」でなければならないことは「こわいろ」から「ワ行」であることを知れば納得できよう。「現代かなづかい」では語源の合理的な説明ができない一例である。
   約音も「かきあぐ」の「きあ」が「か」となり「かかぐ」、「さしあぐ」の「しあ」が「さ」となり「ささぐ」、「はたおり」の「たお」が「と」となり「はとり」となる。そこには一定の法則がある。「きあ」はカ行でア列の仮名「か」となり、「しあ」はサ行でア列の仮名「さ」となり、「たお」はタ行でオ列の仮名「と」となる。
   「よろしく、うつくしく」が「よろしう、うつくしう」となるのを「ウ音便」、「書きて、吹きて」が「書いて、吹いて」となるのを「イ音便」、「読みて、組みて」が「読んで、組んで」となるのを「撥音便」、「買ひて、貰ひて」が「買つて、貰つて」となるのを「促音便」と言ひ、ここにも法則性が見られる。
   以上、ほんの二、三の例を示したにすぎないが、語源を探りながら古典を読めば、一音一字の大切さを知り、言葉への関心も高まり、古典への興味も深まるに違ひない。






(本稿は 『語源入門』といふ未刊行五百枚論考の序文にあたるものである。本文の著作權は筆者土屋道雄が保有する。無斷轉載を禁ず)