最近の歴史觀をめぐる判決について(十五)



辯護士  高池 勝彦    

前囘は、判決の主文(結論)ではなく、結論に至る事實認定に問題のある七三一部隊判決について述べたが、今囘と次囘にわけて、結論は同樣に問題ないとしても事實認定はもとより、爭點についての判斷に問題のある判決を二つ紹介する。

今まで一年以上にわたつて、戰後補償に關する判決について述べてきたが、原告側の法的主張は、大體共通してゐる。初期の判決はその原告側の法的主張をいづれも排斥してゐた。ただ中には、事實認定において、前囘述べた七三一部隊判決のやうに必要もないのに詳細な事實認定をしたり、私が戰後最惡の判決と述べた、李秀英らの事件のやうに根本的に誤つた歴史認識を詳細に述べた判決があつたのである。しかし、原告側が數十件もの訴訟を起し、粘り強く法廷鬪爭を行つてきた結果、裁判所がそれに引きずられたのか、それとも裁判所に問題があることがあらはれてきたのか、原告側にとつては徐々に成果があがつてきてゐる。これは國益といふ觀點からはもちろん、正義公平といふ觀點からも問題である。

その結果、爭點の幾つかにおいて裁判所が原告側の主張を認めて中には損害賠償責任自體まで認めたものがあらはれてきてゐることは前々囘までに述べたとほりである。

今囘と次囘とで、そのやうに、今まで裁判所が頑として認なかつた原告側の法的主張の一つを、別の裁判所がほぼ同一時期に認めた判決を二つ紹介する。いづれも中國人が戰時中、我が國で勞働に從事したことにともなふもので、被告は國ばかりではなく、企業も訴へられてゐるものである。

一、    中國人勞働者損害賠償請求事件京都地裁判決(注)
(1)事實の概要
  訴訟提起時の原告は六名、いづれも中華人民共和國河南省獲嘉縣に居住する農民であつたとのことである。いづれも國と企業に損害賠償と謝罪廣告、企業に對しては、賃金または不當利得の返還を求めてゐる。原告のうち一人は訴訟繋屬中に死亡したため、子どもたち六名が訴訟を承繼した。
  原告等(訴訟承繼前の状態で述べる)は、その居住地から強制連行され、昭和十九年十月十一日、青島港で、日本の貨物船梓丸に乘せられ、濟州島を經て下關に到着し、それから列車で京都を經て大江山鑛山に連行された。そこで昭和二十年八月十五日まで強制勞働に從事させられ、同年十一月二十九日佐世保に終結させられ、同年十二月一日に米軍の上陸用舟艇に乘り、同月下旬に塘沽につき、それから自分の住所地に歸つた。
  原告等が主張する強制連行の具體的態樣やその後の強制勞働の樣子、待遇など七月號で述べた原告等とほとんど同じである。そればかりか昨年十二月號で述べたいはゆる從軍慰安婦の連行される状況とも酷似してゐる。強制連行されるときの状況はいつも似てゐるといふのかもしれないが、原告等本人の主張に基いてゐるだけでは、通常の裁判では、とても認められない状況であるといはなければならない。本件における一例をあげる。
  原告A1が14歳のとき、c村の保長であったおじから塹壕堀のいい仕事があるといわれて、1944年(昭和19年)8月に親戚のEと一緒に、県の役所に申込みに行った。ところが2人は日本軍の傀儡軍の兵士らに縛られ県の役所の中に閉じ込めた(ママ)。そして2人は済南まで連行され、そこで施設内に閉じ込められた。同様に閉じ込められていた多くの人々が逃走しようとしたが、試みたものは全員が殺された。原告A1は、恐ろしくて、逃走できなかった。そこから青島に送られた。
  何囘も述べてゐるやうに、このやうな原告の主張を必要もないのにどうして裁判所は事實であると認定するのであらうか。
  しかも裁判所は、次のやうに述べて原告等主張の事實を全面的に認めてゐる。

  拘束された原告ら6名が、旧日本軍によってそのまま日本に連行されて、被告会社で労働を強制された事実からすると本件強制連行が、本件移入政策に基づいてなされたものであることは、間違いのないことである(このことは、当事者全員が認めて争わないところである)。

  一方、判決は、別の場所で、被告が「原告ら6名の拘束及び連行時の状況に関する証拠についても、反証活動を一切していない」といつてゐるから、この當事者全員が認めて爭はないのは單に戰時中の中國人勞働者の導入政策についてだけのことかも思はれるが、さうだとすると、判決が原告等の具體的状況を事實であると認定してゐることと一貫しないことになる。

(2)本件の爭點
 裁
判所が要約してゐる爭點は次の通りである。

 1 原告らの不法行為の主張について
 (1)本件強制連行が被告国の権力作用の行使であるとし
    て,国際私法の適用を排除することができるかどうか

 (2)本件強制行為が被告らの共同不法行為となるかどうか
 (3)本件強制行為について国家無答責の法理が適用される
    かどうか

 (4)中国国内での不法行為について,法例11条3項によ
    り民法724条が累積的に適用されるかどうか 

 (5)被告らの不法行為責任が,民法724条後段によって
    消滅するかどうか

 2 原告らの安全配慮義務違反の主張について
 (1)
被告会社が安全配慮義務を負っていたかどうか
 (2)被告国が安全配慮義務を負っていたかどうか
 
3 原告らが,被告会社に対して,賃金請求権または同額の
   不当利得返還請求権を取得するかどうか
 
4 被告会社の時効援用が権利濫用となるかどうか
 
5 原告らが国際法に基づいて損害賠償請求権を取得するか
   どうか
 
6 原告らが,ポツダム宣言受諾後の保護義務違反及び新た
   な不法行為に基づく損害賠償請求権を取得するかどうか

  7 原告らが,本件当時の中華民国民法に基づいて,謝罪広
   告掲載請求権を有するかどうか


(3)裁判所の判斷
 
1について
 (1)は、 本件「強制連行」が國による權力作用であるから國際私法の適用がないといふ國の主張ついての判斷である。
  裁判所はこの問題を判斷する前提として、原告等の本件「強制連行」の態樣を問題としてゐる。
  a 拘束が開始された時の状況は次のとおりである。
 (a)原告A1は塹壕掘りの仕事をもらいに役所に行ったら
    兵士に拘束された。

 (b)原告A2は買い物に行った先で日本軍に捕まった。
 (c)原告A3は仕事の募集に応じたら兵士に連行された。
 (d)原告A4は仕事があると騙されて出かけたら兵士に捕
    まえられた。
 (e)原告A5は労働者募集に応募したら兵士に拘束され
    た。

 (f)A6は県の仕事に応募したら兵士に連行された。

  b そして,原告ら6名は,そのまま家族と連絡を取ること
   も許されず,拘束の理由も告げられず,引き続き旧日本
   軍によって拘禁され,日本に強制連行された。これらの
   事実によれば,原告ら6名は,いきなり旧日本軍によっ
   て拘束されて連行されたものというよりほかはなく,こ
   のような態様の拘束と連行が日本法上許されるものでな
   いことは明らかである。


  裁判所は、前述のとほり、このやうな「強制連行」が中國人の勞働者移入政策に基いてなされたので、權力作用として強制、命令なされた行爲であるやうにみえ、中國人の勞働者の選定等について政府が定めた實施要領等をみれば(三月號、七月號で述べた)、行政供出であるといふ證據もあるが、その證據は信用できず裏付けもないから、「本件移入政策は、当時の日本政府が統治権に基づく権力作用を行使して、特定の中国人を移入労働者として選定し、強制的に日本国内まで連行して労働させることを構想しているものではなく、非権力的方法によって政策を実現しようとしているというべきものである。」としてゐる。
  そして次のやうにいふ。

  当時の日本政府は,戦時下における労働力確保の要請に応える目的で,私経済政策である労働政策の一つとして本件移入政策を立案,実行した。ところが日本政府は,その実効性を確保するために,優越的地位に基づいた権力作用(公務遂行作用)を発動して強制連行ができる制度がないのに,実力行使を目的とする旧日本軍の優越的実力に基づいた強制力をなんらの法的根拠もないまま組織的に行使して,原告ら6名の中国人農民を有無をいわせず強制連行したものである。

  したがつて、本件には國際私法が適用されるといふのである。
 
 (2)については、裁判所はまづ、「
本件強制連行について中華民国民法及び民法上,被告国の不法行為が成立することは疑いがない。」と斷定し、被告會社の不法行爲についても、「本件移入政策は,既に見たように旧日本軍の実力行使による強制連行などはどこにも定めていないし,中国人労働者をその意に反して日本に連行し強制労働させることも予定していないものである。それにもかかわらず,被告会社は本件強制労働をさせる意図で本件強制連行を共同実行したものであるから,単に本件移入政策に従う意図であったということのみで,自己の行為を正当化することはできない。」から不法行爲であるとし、それを國と共同實行してゐた、と判斷した。
 
(3)については、「被告国が主張する上記法理の内容は,そこで問題とされる国家の行為が公務のための権力作用である場合に,当該公務を保護するためのものであって,当該行為が公務のための権力作用にあたらない場合には,国の行為についても民法上の不法行為責任が成立することを当然のこととしているものである。したがって,国家無答責の法理が適用される国家の権力行為がかつて存在していたことを,一般論としては肯定できるとしても,少なくとも原告ら6名に対する強制行為は,既に検討したとおり不法行為であって,保護すべき権力作用ではなかったから,被告国の主張は,その前提を欠き失当であるといわなければならない。」と簡單に國家無答責の法理を排斥してゐる(引用は長いがこれが裁判所の判斷すべてであつて、他の爭點の判斷について數十行を使つてゐることに較べればきはめて簡單である。)。
 (4)は、累積適用されると、民法七百二十四條は、時效ないし除斥期間の規定であるから、それを適用させまいとする原告側の主張に對する判斷である。裁判所は簡單に原告側の主張を排斥して、累積適用を認めてゐる。
 (5)は本件のもつとも重要な爭點であるが、例によつて原告側は、民法七百二十四條後段の規定は時效期間を定めたもので、除斥期間を定めたものではないと主張してゐるが(この議論の詳細は五月號參照)、あつさりと除斥期間を定めたものだと認定してゐる。
 この規定が除斥期間であるとして起算點がいつであるかについて、原告等は、本件損害賠償請求權が現實的に行使可能になつたときから起算すべきであるとし、昭和四十年ころは日中兩國の國交が斷絶してゐたのであるから國交が囘復したときから起算すべきであると主張したが、裁判所は、歸國した昭和二十年十二月が起算點であると判斷した。判決の中の興味深いところを略記する。

  本件強制行為に基づく原告ら6名の損害賠償請求権について,上記起算点から20年の期間が経過した時期は昭和40年12月上旬となる。そして,原告ら6名が本件訴訟を提起したのは,平成10年8月14日であることが記録上明らかであるから,その間に29年以上の年月が経過している。
  しかし,本件規定が定めている20年の除斥期間の満了時期については,起算点を確定する場合とは異なって,事後的事情を一切無視して考えることは相当でない。最高裁判所平成10年6月12日第2小法廷判決(略)は,このことを明らかにしたものであると解される。この点において,原告らが主張する前記の諸事情を検討してみなければならない。(略)
  原告らは,平成9年8月3日に北京で日本の弁護士と出会って,本件強制行為について,被告らに対して賠償請求ができることを教えられたので,本件訴訟手続を開始した。(略)
  それまで,原告ら6名が本件訴訟手続きを取らなかったのは,中華人民共和国では1986年(昭和61年)まで,国民が自由に海外渡航することが許されていなかったし,同年から原則的に自由化されたものの,国内の経済状態は,原告ら6名のような一般国民が日本に渡航できるほどの経済的余力を生じさせるものではなかったから,事実上原告ら6名が日本に来ることは困難であったためである。
  上記の事実によれば,帰国した原告ら6名を取り巻く国内情勢が,本件訴訟の提起に踏み切ることを容易にする方向へと変化してきたことは明らかである。しかしその変化の内容は,本件訴訟の提起に関係する法律面での情報量が増加し,政治面での日中関係の円滑化がなされ,中国国内の経済面での事情が改善されて,原告ら6名の本件訴訟提起をより容易にする事実的条件が整ってきたというものであり,本件訴訟の提起を直接妨げる事情が当初は存在したとか,この事情が順次解消されて訴訟の提起がようやく可能になったというものではないといわなければならない。
  そして,既に認定したところによれば,終戦をきっかけに原告ら6名は,戦勝国の国民として日本政府に対し正当な処遇を要求できることを知るとともに,被告らの不法行為がいかなるものであり,自分たちが被害の回復を請求できる立場にあることを認識していたものと推認することができる。(略)
  したがって,どんなに遅くとも,昭和53年に日中平和条約が締結されて日本と中国との国交が正常化した時には,原告ら6名は,終戦時の認識に基づいて被害の回復を要求する行動をとることに関して,情勢が整ったことを理解できたはずであるといわなければならない。それにもかかわらず,昭和40年12月上旬を起点とすれば約30年,日中平和条約の締結時からでは約20年が経過するまで,本件訴訟の提起が遅れたものである。 以上によれば,上記の遅れによる不利益を原告らに帰すことによって,原告らに対し著しく正義・公平の理念に反する結果となる事情があると認めるわけにはいかない。(略) (サンフランシスコ平和條約による被告國の戰後處理について)同条約の当事者ではなかった中国(中華人民共和国政府及び中華民国政府のいずれも)も,中国領域内に存在する被告国及び日本国民の所有する資産に対する処分権が認められた。そして終戦当時,中国領域内に存在した日本財産をその所在場所ごとにみると,台湾在外財産評価額425億4200万円,中華民国東北同1465億3200万円,華北同554億3700万円,華中・華南同367億1800万円であったと推計されていた。なお,同21年度の日本国の一般会計をみると,歳入は1188億円余り,同年度の国民総生産は4470億円余りであった。(略)
 被告
国は,昭和20年(略)12月のアメリカ合衆国大統領に対する中間賠償計画に関する勧告案(いわゆるポーレー中間案)に基づき,余分な工業施設(資本設備)を撤去し,これを特にアジア近隣諸国に対する賠償の一部に充てた。すなわち,同25年(略)5月までに,合計4万3919台の工場機械等が梱包撤去された。これら引渡物件の評価額合計は同14年の円価格で1億6500万円,当時のドル価格に換算すると約4500万ドルであり,その引取国別評価額のうち,中国は54.1パーセントであった。(略)

  被告国が,国家間の戦後処理について相手国である中国から最終的合意を取り付けたことは紛れもないことである。そのことは,原告ら6名のみならず本件移入政策の実施過程において不法行為の被害者となった中国人のことが,両国間の交渉において具体的に取り上げられていなかったとしても,両国は被告国の戦争中の行為のすべてを交渉の対象にした上で最終合意に到達して,被告国が戦後処理の責任を果たしたことを意味しているものというべきである。
  そうであれば,被告国は,原告ら6名の被害に対してこれまでなんらの措置を取っていないことは間違いないけれども,原告ら6名がその構成員である中国に対しては戦後処理の責任を果たしているのであるから,被告国が戦後処理を放置して不誠実な態度を取っていたとはいえない。


以下の爭點についての裁判所の判斷と論評は次號に述べる。

京都地裁平成十五年一月十五日第六民事部判決。判例集にまだ搭載されてをらず最高裁のホームペイジによる。ただ、このホームペイジから以前印刷したときには判決は表題では三月四日で、中身では一月十五日となつてゐたが、今囘改めてみたら表題も中身も一月十五日となつてゐた。




辯護士  高池勝彦