最近の歴史觀をめぐる判決について(八)



辯護士  高池 勝彦    





  前囘、關釜元從軍慰安婦訴訟の一審判決は、國に、各從軍慰安婦原告等に對して各三十萬圓を支拂ふやう命じたことを述べたが、今囘は、その結論部分の問題點をとりあげる。



(2)法律的な主張と判斷(承前)


三 判決理由批判(その一)


  まづ、判決は、「選挙をも含めて究極的には多数決原理による議会制民主主義の政治が、その原理だけのもとでは機能不全に陥り、多数者による少数者への暴政をもたらしたことの反省に立って日本国憲法が制定されたはずである。」といふが、これは歴史的事實ではない。一見これは、戰前の政黨政治が腐敗し、國益よりも自分の利益を優先した衆愚政治の面があつたことを念頭に置いてゐるのかと思はせるが、そこまでの洞察ではなく、單に軍國主義批判のありきたりの論理から述べてゐるものであらう。現行憲法がそんな反省の上に制定されたものではなく、占領軍に中身もすべて強制されて制定されたものであることは常識であり、いひたければ、「押付けられたものであるしても、日本國憲法の原理は基本的人權の思想であり云々」と述べるべきであらう。この判決は虚僞の事實を述べてゐる。
  この判決の中心的部分である國會の作爲義務については控訴審判決とともに述べることにし、その他のあまりに幼稚かつ愚劣な事實認定について述べる。


判決は、慰安所について、「ただ性交するだけの施設がここにあり、慰安婦とはその施設の必需の備付品のごとく、もはや売(買)春ともいえない、単なる性交、単なる性的欲望の解消のみがここにある。」といふが、滑稽な事實認定である。
  一般の賣春は單なる性的慾望の解消のみではないのか。もし、一般の賣春が性的慾望の解消のみではないとしたら、慰安所も同樣であらう。そこには、戰地における人間交流があることは戰記文學を讀まなくても容易に想像がつく。判決にはこの想像力がなく、一方的な斷罪に終始してゐる。
「使用単価に表れた露骨な民族差別。希少性ないし需給法則のゆえに日本人の単価が高かっただけではあるまい。」など、逆に判決は誤つた想像力を働かせてゐる。
判決はしきりに從軍慰安婦制度といふ用語を使用してゐるばかりか、「従軍慰安婦制度は、日本国憲法制定前に設けられた制度であり」と述べ、戰地における慰安婦の存在を、明確な制度であると斷定してゐる。慰安所があり、慰安婦がゐた。それぞれに場合によつては、軍が衞生檢査とか、輸送の便宜供與とかの形で關與した。これを從軍慰安婦制度といふのは適切ではない。といふよりも制度といふ用語を使用することによつて舊軍がいかに不道徳的であつたかを印象づけようとしてゐるものと思はれる。從軍慰安婦制度といふ用語を使用すると、從軍慰安婦制度は、當時においても國際條約違反の疑ひが強く、「極めて反人道的かつ醜悪な行為であったことは明白であり、少なくとも一流国を標榜する帝国日本がその国家行為において加担すべきものではなかった。」といふ判斷になつてしまふ。慰安所や慰安婦であれば、世界的に存在してをり、それに對する衞生檢査などは國際法上特に違法といふべきものではないであらう。
判決は、戰前の日本を指してしきりに帝國日本といふ言葉を使ふ。これは原告等の言葉使ひに引きずられたのではあらうが、これまた近年の左翼用語であり、適切ではない。


四 判決理由批判(その二)


  判決が、國會の立法不作爲責任を認めるについて、この裁判官がもともと持つてゐた偏つた思想に加へて、決定的な影響または口實を與へたのが河野談話である。
  判決は、「從軍慰安婦制度」が、當時においても國際條約違反の疑ひが強く、「極めて反人道的かつ醜悪な行為であったことは明白であ」るので、國會においてなんらかの立法對策をとらなければならない上に、平成五年八月四日、河野談話がはつきりと日本軍の密接な關與、強制を認め、「心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちをわが国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。」、と明言したので、「右の談話から遅くとも三年を経過した平成八年末には、右立法をなすべき合理的期間を経過したといえるから、当該立法不作為が国家賠償法上も違法となったと認められる。」と判斷したのである。
  當時河野談話が發表されたとき、我々は、これは國際政治の上で、きはめてマイナスになると主張したし、現に韓國政府やその他の對應を見ればそのマイナス效果ははかりしれない。しかし、まさか國内の裁判所でこのやうな形で利用されるとは思はなかつた。
  しかも、當時からこの河野談話なるものは事實に基いたものではなく(注一)、とにかく謝つておかうといふ例によつて、例のとほりの我が國政府の對應であつた。判決も觸れてゐる、河野談話と同時に明らかにされた政府の調査報告書には、慰安婦の強制連行を示すものは一例もなかつたのである。しかし、判決はその調査報告書を參考にした形跡はない。あるいは被告國は裁判所にその調査報告書を提出しなかつたのかもしれない。
  平成九年になつて、評論家の櫻井よしこさんがこの談話成立のいきさつを明らかにした(注二)
  それによれば、日本政府は慰安婦が軍によつて強制的に連行された實例を必死になつて探したが、なかつた、しかし、宮澤首相の總辭職を控へて、韓國側は慰安婦問題の決着を急いでをり、それにはどうしても慰安婦が軍により強制的に連行されたことを日本政府が認めることを強く要求されてゐたのだといふ。しかも、談話の内容をあらかじめ韓國側に示して打合せ、日本がこれを發表すれば、韓國側は今後金錢補償をしないと約束したのだといふ。
  裁判所は河野談話のこの内幕を知つてゐたのであらうか。櫻井論文を讀んでゐれば當然知つてゐたであらう。櫻井論文は判決よりも一年以上も前に發表されてゐるのであるが、おそらく讀んではゐないでらうし、もちろん國はこの論文を證據として提出してゐないであらう。なぜなら櫻井論文は日本政府の外交姿勢を強く批判したものだからである。
  さうして裁判所は、「從軍慰安婦制度」が「いわゆるナチスの蛮行にも準ずべき重大な人権侵害であ」ると斷定したのである。ナチスは、ユダヤ民族全體の絶滅を計畫し、計畫的に施設を作つて、數百萬人のユダヤ人を、列車などで次々とその施設に送り込んで、效率的に殺害し、髮の毛や人體から利用できるものを採取したりしてゐたのである。しかもこれは戰爭とは何の關係もないのである。戰爭の中で、個々の慰安婦の中には悲慘な状態にあつたものもゐたであらうし、それ以上に慰安婦といふ職業自體が悲慘なものであつたといふこともできる。しかし、これをナチスの蠻行に準ずるといふことができるであらうか。
  日本人自身による、我が國の過去の政策についての偏つた惡意に滿ちた罵倒はとどまるところを知らないといはざるをえない。
  判決の論理は、「お詫びと反省の氣持を、我が國としてそのやうに表すかといふことについて、今後有識者の意見を求めて、眞劍に考へる」と政府が言明したからそれから三年たつてもの何もしてゐないのであるから、立法不作意責任があるといふのである。
  これは法律解釋を嚴密に、あるいは硬直的に適用させてゐる我が國の現行司法體系のものとでは、とほり難い議論であり、現に控訴審においては認められなかつたが、私はこの議論には一理あると思ふ。問題は前述のとほり、安易に何かやりますといふその場しのぎの談話を發表したことにある。


五、その他


  判決の結論とは關係ないが、原告等は、平成六年四月二十八日、永野元法務大臣が、法務大臣就任當日の個別インタビューにおいて述べた發言が、原告等に對する名譽毀損となると主張した。これに對して判決は次のやうに述べてゐる。


  永野元法務大臣は、……「慰安婦は程度の差はあるが、米・英軍などでも同じことをやっている。日本だけが悪いと取り上げるのは酷だ。慰安婦は当時の公娼であって、それを今の目から女性蔑視とか、韓国人差別とかは言えない。」との趣旨の発言をしたというのであって、……一般論としての意見を述べたに過ぎないことが明らかである。もとより、右発言における朝鮮人従軍慰安婦についての認識と評価とが根本的に誤っており、前記内閣官房外政審議室の調査報告書や官房長官談話に反していることは明白であるにしても、……本訴慰安婦原告らを指してなされたりした發言ではないことはあきらかである。


  したがつて、永野發言に基いた慰安婦原告等に對する名譽毀損としての損害賠償は認めなかつた。
  この結論は妥當であるが、永野發言は「朝鮮人従軍慰安婦についての認識と評価とが根本的に誤って」ゐるなど斷定してゐるのは問題である。
  次に、私は、この裁判がなぜ山口地裁下關支部で審理されたのか不思議に思つてゐたので、この裁判を擔當した原告の辯護團の一人に電話で聞いてみた。
  辯護團はほとんどが福岡の辯護士である。原告の韓國人達と何らかのつながりがあるのであらう。裁判の管轄については、これは不法行爲事件であるから、まづ第一に不法行爲地が管轄となるが、不法行爲地は慰安婦の場合、中國とか、フィリピンとかの外國であり、挺身隊員については富山沼津や東京などの工場の所在地である。
  次に考へられる管轄地は被告の住所地である。この場合、被告は國であるから、法務大臣の事務所の所在地、すなはち法務省の所在地東京が管轄となる。通常このやうな大規模な問題のある事件は東京地裁で審理されることが多かつた。しかし、東京地裁で審理すると、負ける可能性が高いと福岡の辯護士は私に言つた。
  辯護團は、福岡の辯護士たちであるから、何とか、福岡でやりたかつたが、どうしても福岡を管轄とする口實を見つけることができなかつた。そこで、下關は、挺身隊の船が入港した、つまり當時の朝鮮からの船が入港した港であるから、不法行爲地であると主張したとのことである。國はこれは不法行爲地ではないとかなり抵抗したが、結局裁判所が管轄を認めたとのことである。原告辯護團の作戰が成功したのである。


關釜元從軍慰安婦訴訟控訴審判決(注三)


  この控訴審判決の判例時報の解説によると、「一審判決は、戦後補償・賠償に関する訴訟において、初めて(かつ唯一)請求を認容したもの」である。
  この一審判決に對して、廣島高裁は、その認容した部分、すなはち國に各慰安婦原告に對して三十萬圓を支拂ふことを命じた部分を破棄した。
  事實については、前提事實として、慰安婦についても、挺身隊員についても、一審判決をほぼ蹈襲し、原告等の悲慘な状況を原告等の主張そのままを認めてゐる。
  法律判斷については、立法不作意以外は、一審と同樣原告等の主張をすべて認めなかつた。
  立法不作意については、前號で述べた最高裁判決を全面的に蹈襲してゐる。すなはち、「国会議員の立法行為は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというような、容易に想定しがたい例外的な場合でない限り」、責任を負はない。
  一審では原則としては右のとほりであるが、それ以外にも例外的に、「憲法秩序の根幹的価値にかかわる人権侵害の重大性とその救済の高度の必要性が認められる場合には、憲法上の立法義務が生ずる」とし、「従軍慰安婦らの被った被害を回復するための特別の賠償立法をすべき憲法上の立法義務の存在を認め、合理的期間の経過により右立法の不作為は国家賠償法上違法となった」と判斷したのである。これは前述のとほり、河野談話が契機となつたのである。 廣島高裁は次のやうにいふ。


  しかしながら、いわゆる戦争損害に対する補償の要否及びその在り方は、事柄の性質上、財政、経済、社会政策等の国政全般にわたった総合政策判断を待って初めて決し得るものであって、これについては、国家財政、社会経済、損害の内容、程度等に関する十分な資料を基礎とする立法府の裁量的判断に委ねられたものと解するのが相当であり(注略)、いわゆる戦後補償問題であるとの一事をもって直ちに立法不作為が国家賠償法上違法の評価を受ける場合の要件について異なる解釈を採るべきものと解することはできない。……一審原告らが……受けた被害の重大さ、その性質等にかんがみると、これに対する補償を可能とする立法措置が講じられていないことについて不満を抱く一審原告らの心情には察するに余りあるものがあるが、右補償問題に関する対応のあり方に関しては右に述べた諸事情を踏まえた立法府の裁量的判断にゆだねられているものといわざるを得ない。


  この判斷はオーソドックスであり、妥當でもある。しかし、この判決だけにあてはまる問題ではないが、日本の戰爭補償問題が國際的に問題となつてきてゐると、といふより我が國内部の勢力と外國勢力とが結託して問題とさせられてきてゐる状況では、このやうな結論だけでは、我が國に對する一層の非難の口實を與へることになる。
  つまり、本件に則して述べれば從軍慰安婦の悲慘な状況を詳細に事實認定し、その救濟を認める立法がなされないことに不滿を抱く心情に察するに餘りあると言ひながら、それは國會が決めることであると突き放してゐるからである。日本人は汚い、裁判所では被害を認めてゐるのに、國會ではなにもしない、といふ例の批判へと結びつくことになる。
  一方、國會ではこんな立法を認めるわけにはいかない。なぜなら、我が國は、講和條約や個別の條約によつて、誠實に戰後補償を履行し、巨額の賠償金を世界各國に支拂つてきたからである。我が國に對して強硬にこのやうな請求をしてきてゐる中國や韓國について一層さうである。その上、本件の原告らの主張でもわかるやうに、本人の主張以外に何も立證するものがない上に、信憑性の疑はしい事例も存在するのである。
  これは既に何囘も述べたやうに、被告の國が原告らの事實に關する主張に對して何らの反論をしないことが原因である。
  以上で、關釜元從軍慰安婦訴訟についての論評である。次囘は別の問題のある判決について述べる。




注一 上杉千年『検証『従軍慰安婦』増補版』百三十一頁、平成八年九月十二日全貌社發行。
注二 桜井よしこ「密約外交の代償」『文藝春秋』平成九年四月號百十六頁。
注三 廣島高裁平成十三年三月二十九日判決、判例時報一七五九號四二頁。



(本文は『月曜評論』誌平成十五年二月號掲載論文の元原稿です。掲載時のシリーズ名は「戰後最惡の判決」。二月號第八囘の主題は「關釜元從軍慰安婦訴訟を通して知る裁判官の歴史認識 〈其ノ三〉」でした)