辯護士 高池 勝彦
日本軍毒ガス事件
今囘は、九月三十日の新聞が一齊に大々的に報道した日本軍毒ガス事件とその關聯判決について述べる(注一)。
大東亞戰爭終了後、舊日本軍は、大量の武器をソ聯や中國軍に引き渡したり、廢棄遺棄したりしてきたが、その中には化學彈いはゆる毒ガス彈が含まれてゐた。
その内、日本軍が遺棄した毒ガスにより被害を受けたとする多數の中國人が日本政府に損害賠償を請求したものが日本軍殘留毒ガス事件である(注二)。
中國人側は、この毒ガス事件を第一次訴訟と第二次訴訟と二囘に分けて起してをり、第一次訴訟は平成八年に、第二次訴訟は平成九年にいづれも東京地裁に提起されてゐる。
第一次訴訟は原告十三名、被害者の數からいへば十名(二名の被害者についてそれぞれ二名と三名の相續人が原告となつてゐる)、被害件數からいへば二件の毒ガス事件と一件の通常砲彈事件である。
第二次訴訟は原告五名、三件の毒ガス事件と一件の通常砲彈事件である。
第二次訴訟の方が先の、平成十五年五月十五日、民事第四十九部、齊藤隆裁判長により判決が出された。
第一次訴訟が、今囘新聞に大々的にとり上げられたもので、民事第三十五部片山良広裁判長により、九月二十九日に判決が出された。
第一次訴訟には百三十八名の第二次訴訟には二百四十名の、共産黨系と思はれる者が中心の辯護士がついてゐる。
先に出た第二次訴訟が原告側請求を全部認めなかつたのに反し、第一次訴訟の方は、請求額を含めて原告等のいふがままのほぼ全額を認めた。
それぞれの判決の内容をみてみる。
一、第二次訴訟判決
(1)事案の概要
本件は前述のとほり四つの事件からなる。昭和二十五年八月二十四日、中國の黒龍江省チチハル市所在の黒龍省第一師範學校の校舍建築工事中に、地中から發見されたドラム罐の黄色の液體を同校の化學教師が調査中に毒ガスとは知らずに手に塗布して被害を受けた事案(第一事件)、昭和五十一年五月十日ころ、黒龍江省拝泉県の鐵鋼場において、廢鐵場から持つてきた砲彈で刃物類を作るのを手傳つてゐた原告が、砲彈の尾部を切斷した際、黒褐色の液體が流出して被害を受けた事案(第二事件)、昭和五十五年四月十九日、黒龍江省依蘭県において、自宅の庭を掘つてゐたところ、鍬が砲彈に觸れ、突然砲彈が爆發し、その破片が頭部や體に突き刺さつたといふ事案(第三事件)、昭和三十六年十月十六日、黒龍江省チチハル市内のガス會社の庭から發見された鐵製の罐の調査を依頼された醫師である原告二人が中にあつた褐色の液體に觸れたり、吸込んで被害にあつた事案(第四事件)である。
(2)原告側の主張
原告側の主張は、今まで述べてきた戰後補償に關する裁判の原告側の主張とほぼ同じで、國際法、中國法、日本法による主張である。
中國法による主張とは、法例十一條一項により中國民法が適用されるとの主張である。
日本法による主張とは、國家賠償法一條一項、二條一項、民法七百九條、七百十五條、七百十七條条に基づく請求である。
(3)裁判所の判斷
まづ、判決は、私が、不必要な判斷であるとほぼ毎囘述べてゐることであるが、「本訴各請求の当否を判断するにつき必要な範囲で原告らの主張する前提的事実関係について検討すると」と述べ、「必要な範囲」をはるかに越えて、原告等の主張した日本軍による毒ガス兵器の製造、中國國内での使用、終戰時の毒ガス兵器・砲彈の遺棄行爲、及び戰後國がこれらの遺棄された毒ガス・砲彈について何らの措置も執らずに放置した事實を、ほぼ原告の主張どほり認め、原告等の被害をも認めた。
判決を摘記する。
以上の各事実に照らして検討するに、日本陸軍が多量の毒ガス兵器を生産し、これを中国に持ち込んで配備したこと、終戦前後に日本陸軍に所属していた数名の軍人が上官の命令に基づき毒ガス兵器を中国に遺棄したことがあったことに加え、毒ガス兵器の使用が既に国際法により禁止されていたことから、前判示のように具体的に判明している軍人以外に軍上層部からの命令を受け、あるいは独自の判断によりこれを中国に遺棄した日本陸軍関係者がいたことは想像するに難くない。終戦後の昭和27年から中国政府により実施された調査の結果はこれを裏付けるものということができる。
また、それのみならず、中国に駐屯していた日本陸軍は、終戦に際して武器及び装備の引渡しが命じられていたものの、引揚げ時の混乱から確実に履践することなく、武器及び装備を収納庫等の従前の保管場所にそのまま捨て置いたり、他の場所に放棄したり、あるいは隠匿のために地中や河川等に捨てたりしたことも十分に推測されるのであり、通常兵器である砲弾等のみならず、毒ガス兵器についても、このような方法により遺棄した推認することができる。
そして……被告が平成3年(略)から平成8年(略)の間に中国国内において日本軍の遺棄した化学兵器について、その所在及び具体的状況を調査したり、その存在による危険性を周知させる働き掛け、あるいは進んでこれを回収する措置を執らず、さらに、その存在を中国政府に伝えて回収作業を要請するような活動を行わなかったことが認められる(以下、このような活動を行わなかったという不作為を指して「放置行為」ということにする。)。
ところで、……本件各事件における毒ガス兵器及び砲弾の形状が日本軍が生産した「きい弾」及び「きい剤運搬容器」並びに「迫撃砲弾」にそれぞれ類似していること、……傷害をもたらしたドラム缶、砲弾及び鉄製缶の内容物の色や臭いが日本軍により生産されたイベリット(きい1号)若しくはルイサイト(きい2号)又は両者の混合液に類似していること、本件第1事件におけるドラム缶及び本件第4事件における鉄製缶が発見されたチチハル市には日本陸軍の中でも毒ガス兵器を取り扱っていた関東軍が駐屯しており、本件第2事件における砲弾が発見された……村も同じ黒竜江省にあること、……各原告の症状が日本軍により生産されたイベリット(きい1号)若しくはルイサイト(きい2号)又は両者の混合液による症状に類似しているとみることができ、かつ、毒ガス兵器については日本軍以外にこれを中国に持ち込んだ国等があることを窺わせる形跡は存しないから、本件各事件は、日本陸軍が生産して中国に持ち込み、終戦前後に遺棄した毒ガス兵器又は砲弾により生起したと認めることができ、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。
以上のやうな事實認定をしたにもかかはらず、判決は、原告等のすべての法律的な主張を認めなかつた。
國際法上の主張については、從來の判例と同樣、原告側のいくつかの主張をそれぞれ反論してすべて排斥した。
中國法による主張についても、「国が公権力の行使により他人に損害を与えた場合に係る損害賠償の問題は、法例が対象とする渉外的私法関係には当たらず、11条1項にいう不法行為に該当しないから、同条項の適用を受けないというべきである。」として、原告等の主張を一蹴した。
國内法による主張については次のやうに詳細な認定をしてゐる。
まづ、原告等が、毒ガス兵器と通常の砲彈とを日本軍が遺棄した行爲とこれを破棄した行爲とを一體のものとしてみるべきであると主張してゐるのに對し、判決は、遺棄と放置とでは作爲、不作爲と行爲の態樣が全く異つてゐるから、違法性の存否はそれぞれ別個に判斷すべきであるとし、遺棄行爲については國家賠償法施行以前の行爲であるから、專ら放置行爲について檢討すると述べてゐる。
そこで、放置行爲について國家賠償法によつて國の責任を認めるためには、公權力の行使に當る公務員に職務上の作爲義務が認められなければならないとして、次のやうに述べる。
原則としては、公務員の作為義務が法令によって規定されていない場合には、不作為をもって職務上の義務違反とすることは相当でないといわざるを得ない。
しかしながら、他方、国家が公務員の作為義務を定める法令を制定していないことのみをもってすべての公務員の作為義務が否定され、不作為が違法とならないとするのは相当でない。例えば、公務員による違法な先行行為によって危険な状態が作出されているにもかかわらず、国家がその状態を解消する義務を公務員に負わせる法令を制定しないような場合に作為義務が発生する余地がないとすることは、法令を制定さえしなければ全て許されるというに等しいからである。
そうすると、公務員の作為義務が法令によって規定されていない場合にあっても、……公務員ないし国家機関により一定の重大な法益侵害に向けられた危険性ある行為が行われ(違法な先行行為の存在)、その法益侵害の危険性が現存し、かつ、差し迫っている状況にあり(危險性及び切迫性の存在)、当該公務員がその法益侵害の危険と切迫とを認識することができ(予見可能性の存在)、かつ、一定の作為を施すことにより結果の発生を回避することができる(結果回避可能性の存在)場合には、当該公務員に作為義務が発生し、その不作為は違法となると解される。
さうして判決は、違法な先行行爲については「特に、毒ガス兵器の使用は、当時既に国際法により禁止されていたものであるから…これを遺棄することは、顕著な違法性を有する行為」であるとして、危險性及び切迫性については、「毒ガス兵器及び砲彈は、いずれも人の生活圏内に存在し、これを開缶したり接触することにより直ちに人の生命・身体に危険をもたらしたのであるから、実際にも人の生命・身体という重要な法益に対する危険性を有し、かつ、その危険が切迫した状態にあった」としていづれも認めた。
豫見可能性については、つぎのやうな論理構成でこれも認めた。
@ 「被告の各機関所属の公務員が本件第1、第2及び第4の発生した場所に毒ガス兵器が具体的に存在することを認識することは容易ではなかったと思われる。」
しかし、厚生省の擔當者が舊陸海軍の關係者からの事情聽取により「毒ガス兵器がどのやうに処理されたかを認知することは可能であり」、「調査を尽くせば中国における毒ガス兵器の遺棄状況をある程度把握することは可能であったと考えられる。なお、実際に毒ガス兵器を遺棄した旨を明らかにしている数人の軍人がいる」ことなどからも事情聽取が可能であつた。
「また、……毒ガス兵器の中国における配備場所及びその数量を示す資料が存在することが窺われ、このような資料についても、前期行政機関であれば、綿密な調査により戦後の比較的早い時期から目にすることが可能であったものと思われる。」
「以上の諸点を総合考慮すれば、……少なくとも、中国の日本軍が駐屯していた場所の付近に毒ガス兵器が遺棄され、そこに存在しているという限度で、予見が可能であったということができる。」
A 毒ガス兵器の危険性の認識
日本國内の毒ガス兵器による事故などから第一事件の發生時までには行政機關所屬の公務員が毒ガス兵器の危險性を知つてをり、それを行政内部の情報傳達や報道により具體的な危險性を認識することができた。
B 毒ガス兵器の有する危険性が現実化するに至る基本的な経過に係る予見可能性は肯認できる。
C 通常兵器である砲弾については予見可能性の存在を認めることができない。
次に、結果回避可能性があつたかどうかについて@回収措置について、A調査・情報伝達措置について、およびB結果回避可能性の存否の三點にわけて判斷してゐる。
@については、「中国政府は……遺棄された毒ガス兵器の調査をして発見したものについては地中に埋設するなどの処置を執っていたところ、被告にその廃棄を要求するに至ったのは平成2年(略)であり、その間は、毒ガス兵器の危険性を認知しながら、自らの行政措置により対処してきたものと考えられ、このような中国政府の対応に照らせば、昭和62年(略)の本件第4事件の発生までの間に、被告が担当者を中国に派遣し、同国内において自ら回収活動をすることは著しく困難であったと認められ、このような方法により結果の発生を回避することができたと認めることはできない。」とし、Aについて、結局中國國内のことであるから、國が調査傳達をして結果の發生を囘避することができたとする可能性は認められないとして、結論部分のBにおいて、結果囘避可能性を否定したのである。
それから判決は、國家賠償法二條一項については、同項は、「公の造營物」の設置又は管理に瑕疵があつた場合の規定であるから遺棄された毒ガス彈等は「公の造營物」であるとはいへないから認められない、とした。
次に、判決は、民法七百九條の請求に關聯して遺棄行爲について判斷してゐる。
ここでは從來の判例理論を繰り返し、遺棄行爲も放置行爲も國家賠償法制定以前の行爲であるから、國家無答責の法理が適用され國は責任を負はないとした。
(4)論評
原告側は、この判決を、次のやうに論評してゐる(注三)。
本判決が、毒ガス兵器の製造、配備、実戦での使用、終戦時における毒ガス・砲弾の遺棄、その後の国の放置行為とこれにより原告らに深刻な被害が発生している事実を認定した点は評価しうるが、第1,第2及び第4事件について結果回避可能性を否定し、第3事件について予見可能性を否定した点は強い疑問が残るといわざるを得ない。
從來も述べてきたことではあるが、この判決のやうに、詳細な事實認定をし、國が放置したことを非難するのであれば、どんでん返しの結論を批判するこの論評はもつともである。だからといつて、私は國に責任があるとは考へない。
判決は、例によつて事實關係について國が反論しないのをいいことに、「具体的に判明している軍人以外に軍上層部からの命令を受け、あるいは独自の判断によりこれを中国に遺棄した日本陸軍関係者がいたことは想像するに難くない。」とか、「終戦後の昭和27年から中国政府により実施された調査の結果はこれを裏付けるものということができる。」とか、「武器及び装備を収納庫等の従前の保管場所にそのまま捨て置いたり、他の場所に放棄したり、あるいは隠匿のために地中や河川等に捨てたりしたことも十分に推測されるのであり、通常兵器である砲弾等のみならず、毒ガス兵器についても、このような方法により遺棄した推認することができる。」といつたやうに、原告側の主張をそのままに事實認定するのは大いに問題である。
そしてこのやうな、裁判所の事實認定の態度が、結論にまで影響したのが、第一次訴訟の判決である。
紙數が盡きたので、第1次訴訟については次囘述べる。
注一 この判決については、本誌前月號の卷頭「眞悟の憂國」欄で、西村眞悟衆議院議員が述べてゐる。また、『正論』十二月號において稻田朋美辯護士の、この判決についての論文參照。
注二 原告側はこの事件を日本軍毒ガス・砲彈遺棄被害訴訟と稱してゐる。「砲彈」とあるのは、通常の砲彈が爆發して被害を受けたと主張してゐる原告が含まれてゐるからである。
辯護士 高池勝彦