最近の歴史觀をめぐる判決について(七)



辯護士  高池 勝彦    





  關釜元從軍慰安婦訴訟の一審判決の問題點を前囘に續いてとりあげる。



(2)法律的な主張と判斷(續)


  3の立法不作意による國家賠償請求は、この判決のもつとも中心的な部分であり、それに基いて國の損害賠償責任を認めたものであるので、やや詳しく述べる。


一 立法不作意に基く國家賠償請求の概念


  原告等の主張を要約すると、日本國憲法前文、九條、十四條、十七條、二十九條一項及び三項、四十條及び九十八條二項を綜合すると、國會議員には、帝國日本による侵略戰爭及び植民地支配により被害を被つた個人への戰後賠償ないし補償を行ふ立法をなすべき義務があるのに、それを怠つてゐることについて、國家賠償法に基いて國は賠償しなければならない、といふものである。
  これについては、最高裁の判例があり(在宅投票制度訴訟上告審判決、注一)、本件において原告被告ともこれを援用してゐる。
  これは昭和二十七年以前には、一定の身體に障碍のある者は在宅したまま選擧の投票ができる在宅投票制度があつた。その後、この制度が惡用され、そのことによる選擧無效及び當選無效の爭訟が續出したところから國會はこの制度を廢止し、その後在宅投票制度を設けるための立法を行はなかつた。そこで、小樽在住の足の不自由な上告人が選擧に行けなかつた、それは國會が立法を怠つたからであるとして國に損害賠償を求めたのである。
  札幌地裁小樽支部は、原告の請求金額八十萬圓のうち、十萬圓を認めた(注二)。
  二審の札幌高裁は原告の請求を棄却した(注三)。
  最高裁は、次の理由で、札幌高裁と同じく原告の請求を認めず、上告を棄却した。


  国家賠償法一条一項は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して、当該国民に損害を加えたときには、国又は公共団体がこれを賠償する責に任ずることを規定するものである。したがって、国会議員の立法行為(略)が同項の適用上違法となるかどうかは、国会議員の立法過程における行動が個別の国民に対して負う職務上の法的義務に違背したかどうかの問題であって、当該立法の内容の違憲性の問題とは区別されるべきであり、仮に当該立法の内容が憲法の規定に違反する廉があるとしてもその故に国会議員の立法行為が直ちに違法の評価を受けるものではない。
  そこで、国会議員が立法に関し個別の国民に対する関係においていかなる法的義務を負うかをみるに、……国会は、国民の間に存する多元的な意見及び諸々の利益を立法過程に公正に反映させ、議員の自由な討論を通してこれらを調整し、究極的には多数決原理により統一的な国家意思を形成すべき役割を担うものである。そして、国会議員は、多様な国民の意向をくみつつ、国民全体の福祉の実現を目指して行動することが要請されているのであって、……国会議員の立法過程における行動で、立法行為の内容にわたる実体的側面に係るものはこれを議員各自の政治的判断に任せ、その当否は終局的に国民の自由な言論及び選挙による政治的評価に委ねることを相当とする。さらにいえば、立法行為に規範たるべき憲法についてさえ、その解釈につき国民の間には多様な見解があり得るのであって、国会議員は、これを立法過程に反映させるべき立場にあるのである。憲法五一条が、……国会議員の発言・表決につきその法的責任免除しているのも、国会議員の立法過程における行動は政治的責任の対象とするにとどめるのが国民の代表者による政治の実現を期するという目的にかなうものである、との考慮によるものである。このように、国会議員の立法行為は、本質的に政治的なものであって、その性質上法的規制になじまず、特定個人に対する損害賠償責任の有無という観点から、あるべき立法行為を措定して具体的立法行為の適否を法的に評価するということは、原則的に許されないものといわざるを得ない。……
  以上のとおりであるから、国会議員は、立法に関しては、原則として、国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり、個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではないというべきであって、国会議員の立法行為は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというがごとき、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法一条一項の規定の適用上違法の評価を受けないものといわなければならない。


二 本件での判斷


  本件の裁判所は、以上の最高裁判決を要約した上、「具体的立法行為の適否を法的に評価するということは、原則的に許されないものといわざるを得ないと諭決した上、結論として云々」の述べてゐるが、この「諭決」といふ言葉は耳慣れない。大きな漢和字典を調べても出てゐない。この裁判所が作つた言葉ではないだらうか。
  それはさておき、判決は、引用した最高裁判決と基本的には同じで見解であるとしながらも、最高裁判決の「例外的な場合」については「やや見解を異に」するといふ。
  判決は、國會議員の立法行爲が本質的に政治的なものであつて、その性質上法的規制の對象になじまないことを理由とするやうであると最高裁判決を要約してゐるが、次のやうな勇敢な(!)コメントをしてゐる。



  なお、憲法解釈をいう部分は趣旨不明瞭であるし、いわゆる免責特権を言う部分は、違法と責任とを峻別する我が国の法制度のもとにおいてはほとんど論拠とならず、これらの説示にさして意味があるとは思われない。


そして、次のやうに判示してゐる。


  選挙をも含めて究極的には多数決原理による議会制民主主義の政治が、その原理だけのもとでは機能不全に陥り、多数者による少数者への暴政をもたらしたことの反省に立って日本国憲法が制定されたはずである。そして、その日本国憲法の原理、議会制民主主義に立つ立法府をも拘束する原理が基本的人権の思想であり、むしろ端的に、基本的人権の尊重、確立のために議会制民主主義の政治制度が採用されたはずであって、その上に、さらにこれを十全に保証するために裁判所に法令審査権が付与されたはずである。したがって、少なくとも憲法秩序の根幹的価値に関わる人権侵害が現に個別の国民ないし個人に生じている場合に、その是正を図るのは国会議員の憲法上の義務であり、同時に裁判所の憲法上の固有の権限と義務でもあって、右人権侵害が作為による違憲立法によって生じたか、違憲の立法不作為によって生じたかによってこの理が変わるものではない。(後略)
  このように、立法不作為を理由とする国家賠償は、憲法上の国会と裁判所との役割分担、憲法保障という裁判所固有の権限と義務に関することがらであり、国会議員の政治的責任に解消できない領域において始めて顕在化する問題というべきであって、これが国家賠償法上違法となるのは、単に、「立法(不作為)の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行う(行わない)というごとき」場合に限られず、次のような場合、すなわち、前記の意味での当該人権侵害の重大性とその救済の高度の必要性が認められる場合であって(その場合に、憲法上の立法義務が生じる)、しかも、国会が立法の必要性を十分認識し、立法可能であったにもかかわらず、一定の合理的期間を経過してもなおこれを放置したなどの状況的要件、換言すれば立法課題としての明確性と合理的是正期間の経過とがある場合にも、立法不作為による国家賠償を認めることができると解するのが相当である。


  そこで、以上の見地に立つて、本件を檢討するとして、從軍慰安婦については、日本人、半島人(朝鮮人のこと)、中國人とで、料金が異つてゐたことをあげ、慰安所といふのは、


  ただ性交するだけの施設がここにあり、慰安婦とはその施設の必需の備付品のごとく、もはや売(買)春ともいえない、単なる性交、単なる性的欲望の解消のみがここにある。そして、前記事実問題で見た慰安所開設の目的と慰安婦たちの日常とに鑑みれば、正に性的奴隷としての慰安婦の姿が如実に窺われるというべきである。しかも、使用単価に表れた露骨な民族差別。希少性ないし需給法則のゆえに日本人の単価が高かっただけではあるまい。
  ところで、日本国憲法は、……個人の尊重、個人の尊重、個人の人格の尊厳に根幹的価値を置いている。そして、右に典型例を見たとおり、従軍慰安婦制度が女性の人格の尊厳を根底から侵すものであり、民族の誇りを甚だしく汚すものであったことも論をまたない。
  しかるに、従軍慰安婦制度は、日本国憲法制定前に設けられた制度であり、……これがいかに重大な人権侵害であろうとも、それだけを理由として、直ちに日本国憲法がその賠償立法を命じていると解したり……することができないことは先に「道義的国家たるべき義務」の検討においてみたとおりである。
  しかしながら、従軍慰安婦に対する人権侵害の重大性と現在まで続く被害の深刻さに鑑みると、次のような解釈が可能と考える。



  といつて、從軍慰安婦制度は、當時においても國際條約違反の疑ひが強く、「極めて反人道的かつ醜悪な行為であったことは明白であり、少なくとも一流国を標榜する帝国日本がその国家行為において加担すべきものではなかった。」これに舊軍隊のみならず政府も事實上加擔した、と判斷した。そして、次のやうに結論づけてゐる。


  このような場合、法の解釈原理として、あるいは条理として、先行法益侵害に基づくその後の保護義務を右法益侵害者に課すべきことが一般に許容されている。そうであれば、日本国憲法制定前の帝国日本の国家行為によるものであっても、これと同一性ある国家である被告には、その法益侵害が真に重大である限り、被害者に対し、より以上の被害の増大をもたらさないよう配慮、保証すべき条理上の法的作為義務が課せられているというべきであり、……被害者に対する何らかの損害回復措置を採らなければならないはずである。……この不作為は、それ自体がまた同女らの人格の尊厳を傷つける新たな侵害行為となるというべきである。
  そして、遅くとも従軍慰安婦が国際問題化し、国会においても取り上げられるようになった平成二年(一九九〇年)五、六月ころには、右不作為による新たな被告の侵害行為は、それ以前の多年にわたる放置と元慰安婦女性の高齢化、労働省職業安定局長による「民間業者が云々」との政府答弁……、さらにはそのころまでには明確に自覚されるに至った女子差別の撤廃と性的自由の思想等々とあいまっていよいよその人権侵害の重大性と救済の必要性を増し、違憲的違法性を帯びるものとなったということができる。
  しかして、……内閣官房内閣外政審議室は、平成五年(一九九三年)八月四日、「いわゆる慰安婦問題について」と題する従軍慰安婦問題についての調査報告書を提出し、また、当時の河野洋平内閣官房長官も、「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。」、「戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。」、「いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちをわが国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。」との慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話を発表していることが認められるところ、右調査報告書と内閣官房長官談話によれば、従軍慰安婦問題が、女性差別、民族差別に関する重大な人権侵害であって、「心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」べきものであり、かつ、「そのような気持ちをわが国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきもの」であることが表明されている。……従軍慰安婦制度がいわゆるナチスの蛮行にも準ずべき重大な人権侵害であって、これにより慰安婦とされた多くの女性の被った損害を放置することもまた新たに重大な人権侵害を引き起こすことをも考慮すれば、遅くとも右内閣官房長官談話が出された平成五年(一九九三年)八月四日以降の早い段階で、先の作為義務は、慰安婦原告らの被った損害を回復するための特別の賠償立法をなすべき日本国憲法上の義務に転化し、その旨明確に国会に対する立法課題を提起したというべきである。そして、右の談話から遅くとも三年を経過した平成八年末には、右立法をなすべき合理的期間を経過したといえるから、当該立法不作為が国家賠償法上も違法となったと認められる。


  そして、國に、各慰安婦原告に對して各三十萬圓を支拂ふことを命じた。この判決の論評と高裁判決については、次囘。



注一 最高裁昭和六十年十一月二十一日第一小法廷判決、民集三九卷七號一五一二頁、判例時報一一七七號三頁。
注二 札幌地裁小樽支部昭和四十九年十二月九日判決、判例時報七六二號八頁。
注三 札幌高裁昭和五十三年五月二十四日判決、判例時報八八八號二六頁。




(本文は『月曜評論』誌平成十五年一月號掲載論文の元原稿です。掲載時のシリーズ名は「戰後最惡の判決」。一月號第七囘の主題は「關釜元從軍慰安婦訴訟を通して知る裁判官の歴史認識 〈其ノ二〉」でした)