最近の歴史觀をめぐる判決について(二) 辯護士 高池 勝彦  前囘に續いて、戰後最惡の判決について述べる。なほ引用が長くなるが、判決の原文がどのやうなものであるかを知つてもらひたいので、御海容に願ひたい。 4、判決の構成  裁判所は、判決の中で、厖大な頁數を使つて、不要な歴史認識を述べてゐるが、その前に判決の構成について簡單にふれておく。以下に述べるやうにそれぞれの中身にも問題があるからである。  判決は、「第二 事案の概要」として、原告等の請求の基礎としてゐる事案を詳細に述べ、被告の主張については、「別紙第三の「被告の主張」記載のとおりであり、要するに、仮に原告ら主張のとおりの事実関係があったとしても、その損害につき、原告らが個人としてわが国に対して直接損害賠償を求める権利はないというのである」とこれだけである(九十八頁、注一)。これに反して、原告等の請求を認容する判決であればともかく、原告等の請求をすべて棄却する判決である以上、別紙として原告等の主張も添付してゐるのであるから、被告の主張と同樣に、簡單に述べれば足りるのに、原告らの主張する事実については詳細に述べてゐる。  次に判決は、事案の概要の最後に、「本件の主要な争点」を掲げてゐる。「1 本件加害行為の存否並びにその歴史的背景と被害の性質」、2から4まで國際法上の論點、5は法例第十一條第一項適用の問題、「6 本件損害賠償請求につき除斥期間が満了しているか。」を掲げてゐる。2から6まではともかくとして、1ははたして本件の爭點といへるのか疑問である。「本件加害行為の存否」は、本件加害行爲がなければそもそも他の點を判斷するまでもないのであるから、判斷の論理的前提としては爭點といへるかもしれないが、「その歴史的背景と被害の性質」に至つては爭點ではない。また、被告國は前述のとほり、「仮に原告ら主張のとおりの事実関係があったとしても、その損害につき、原告らが個人としてわが国に対して直接損害賠償を求める権利はない」と主張してゐるのであるから、本件加害行爲の存否についても、實質的には爭點ではない。ましてその歴史的背景が爭點であるわけがない。ところが判決は、この1について、後述のとほり、詳細な認定をしてゐるのであるから、獨善的な歴史解釋を述べるために、自分で爭點を作り上げてゐるといはざるを得ない。  それから、「第二 当裁判所の判断」として、以下のとほり異常な判断を示してゐる(九十九頁、しかも第二ではなく、ここは第三の誤りである)。  その第一に「本件に関する基本的な事実関係」として、極端に詳細な事實關係を述べてゐる。この判決がいかに異常であるかを示すために、この部分を何十分の一かに拔萃して示すことにする。何十分の一でもかなりの分量であり、それに少しづつコメントをつけ加へるので、今囘全部を掲載するのは無理であるから、次囘とわけてのせることにする(注二)。 (一)まづ、判決は、「本裁判は、本件加害行為について原告らが個人として直接我が国に対して損害賠償を求めることができるかどうかという国際法上の法律問題が最大の争点であって、右法律問題を一般的に論じるに際して、本件加害行為の背景または直接の原因となっている歴史的事実の認定評価自体が直接その結論を左右するものではないが」、といひながら、「原告らにおいて、本件加害行為をわが国の本件当時における中国及び中国国民に対する侵略行為ないし戦争行為と結びつけ」、南京事件などの原告等主張の「日本軍による非人道的残虐行為についての戦争責任を問うものであって、右南京虐殺、七三一部隊の実態等については種々議論があり、その存在自体を否定し、ないし、これを殊更に過少評価しようとする見解もあること、そのような戦争犯罪等につき……どのように解決するのが相当であるのかという国際法上の極めて重要な問題が問われていること、これを検討するに際しては、少なくとも一九世紀半ばから一九四五年までの間の中国及びわが国が置かれていた国際的環境や、これと関連する世界、とりわけアジアにおける戦争や紛争や、その結果や、その後現在に至るまでの世界の平和がどのように樹立されるべきであるかなどにつき考慮しないわけにはいかないと考えられ、少なくとも当裁判所としてはそのように考えざるを得ないことなどに鑑み、本件に関する基本的な事実関係と関連して必要と認められる範囲と当裁判所の限られた知見及び能力の範囲内で」、「公刊されている一般的な歴史図書(最近のものとしては、例えば……中央公論新社の「世界の歴史」三〇巻など。……)、……一般的日刊新聞、テレビ放送(例えば、比較的最近のNHK「世紀の映像」など)及び弁論の全趣旨に基づき、当裁判所の認識するところを示すこととする。」といつてゐるが(九十九頁)、ここまで一つの文章なのである。括弧書も含めて、一行十七字で八十二行であるから一千三百字以上である。大體この判決は一つの文章が極端に長い。そしてやたらに括弧書での辯解が多い。判決の文章は一般には讀み難いといはれ、一つの文章が長く括弧書も多いが、この判決はその點でも飛び拔けてゐる。  また通常、このやうに、當事者が提出してゐない日刊新聞やその他の書籍を裁判所がかつてに證據にあげることはない。場合によつては違法である。本件では公知の事實であるからとしてその關聯でとりあげてゐるかとも思はれるが、以下のコメントで明らかにするやうに、獨善的な歴史解釋を引出すために使用されてゐるので、違法の可能性が高い。この一般書や當事者が提出せず、裁判所がかつてに參照した資料は右の引用では省略してあるが、數十點に及ぶ。  右に引用した文章の中だけでも、「本件当時における中国及び中国国民に対する侵略行為」と決めつけたり、「右南京虐殺、七三一部隊の実態等については種々議論があり、その存在自体を否定し、ないし、これを殊更に過少評価しようとする見解もある」の中の「殊更に過少評価しようとする見解」といふやうにその見解を非難したりといふやうに偏向した記述がみられる。 しかも右の一つの文章の後に五十行に及ぶ括弧書があり、そこでまた以下のやうに無益な長廣舌をふるつてゐる。  いわゆる「歴史」又は「歴史的事実」については、それが果たして「事実」なのか、「物語」ないし「民族としての記憶」なのか、あるいは、学校で教育されるべき「歴史」としてどのような内容や記述の仕方が望ましいかなどについては議論のあるところであり、そのような歴史ないし歴史教育の「在り方」に関してはもとより当裁判所が判断するものではないので言及せず、ここでは広くほぼ「事実」と認められている事象につき極めて簡単に概観するのみである。  その括弧書はさらに續き、「南京大虐殺」及び「七三一部隊」については、家永裁判で認められ國も爭つてゐないので、認められるといひ、  その余の世界史上の大項目的な「歴史的事実」については迷うところであるが、要するに、原告らが「戦争被害」につき個人として我が国に対して直接損害賠償を求めうる権利を有するというべきかどうかを判断するに際して、……一九世紀後半から一九四五年の我が国が無条件で降伏するまでの間の、我が国、中国、アジア、欧米に存した基本的な歴史的事実関係や、その後現在に至るまで繰り返されている全世界における無数の戦争の存在について認識しておく必要があるとの観点から、多くの漏れがあることを恐れつつ、一般的な歴史書物によって最小限で言及しようとしたものである。  と、これも一つの文章である上、主語がない。しかも我が國が無條件降伏をしたなど誤りもある(この點は裁判所も自覺してゐて後で辯解してゐる)。 (二)まづ本件原告の被害事實について述べる。「本件加害行為を直接経験した原告ら本人の各供述……は、極めて真摯かつ平明率直に真実を述べたものと認められ、現時点においては被告側が具体的に反証し難い事柄であることに乗じて事実関係を歪曲しているものであると疑わせるところは全く見当たらない。本件加害行為がいずれも非人道的なものであり、これによって原告ら本人、その夫、親、兄弟らが悲惨な被害を受けたことは、前掲各証拠及び弁論の全趣旨からして明らかというべきである。」(百頁)  これはをかしい。本件判決に限らず、證言が「極めて真摯かつ平明率直」であるとか、詳細であるから眞實であるとは判決によく使はれる言葉であるから、本件判決が特に異常とはいへはないけれども、本件の場合、被告國はまつたく反對訊問を行はず、原告本人等がかつてにしやべつただけのことである。判決の結論に必要もないのに眞實であるなど認定するのは、異常である。現に本件判決でも原告の一人は、永安市で日本軍の空爆を受けた被害の賠償を求めてゐるのであるが、この點について判決は、「昭和一八年一一月当時の永安市がどのような都市で、日本軍がなぜ空爆したのかについても必ずしも定かでない。しかし、結局本件の結論を左右しないので措くこととする。」といつてゐるのであるから結論を出すには無駄なことをしてゐるわけである。 (三)それから「最小限で言及しようとした」歴史的事實の厖大な長廣舌が始るのである。「本件当時わが国が中国においてした各種軍事行動は、……我が国の軍部がその支配体制を確立し、……時に下克上的な軍部等に引き回されるまま、……中国内部の政治的軍事的極めて複雑な混乱に乗じて、その当時においてすら見るべき大義名分なく、かつ十分な将来的展望もないまま、独断的かつ場当たり的に展開拡大推進されたもので、中国及び中国国民に対する弁解の余地のない帝国主義的、植民地主義的意図に基づく侵略行為にほかならず、この「日中戦争」において、中国国民が中国国内における右混乱にもかかわらず大局的には一致して抗日戦線を敷き、戦争状態が膠着化し、わが国の占領侵略行為及びこれに派生する各種の非人道的な行為が長期間にわたって続くことになり、これによって多数の中国国民に甚大な戦争被害を及ぼしたことは、疑う余地がない歴史的事実というべきであり、この点について、わが国が真摯に中国国民に対して謝罪すべきであること、国家間ないし民族間における現在及び将来にわたる友好関係と平和を維持発展させるにつき、国民感情ないし民族感情の融和が基本となることは明らかというべきであって、わが国と中国との場合においても、右日中戦争の被害者というべき中国ないし中国国民のみならず、加害者というべきわが国ないし日本国民にとっても極めて不幸な歴史が存することからして、日中間の現在及び将来にわたる友好関係と平和を維持発展させるに際して、相互の国民感情ないし民族感情の融和を図るべく、わが国がさらに最大限の配慮をすべきことはいうまでもないところである。」(百頁)  これが基本的な事實關係であらうか。當時の中國の複雜な歴史をまつたく顧慮することなく、「その当時においてすら見るべき大義名分なく、かつ十分な将来的展望もないまま、独断的かつ場当たり的に展開拡大推進されたもので、中国及び中国国民に対する弁解の余地のない帝国主義的、植民地主義的意図に基づく侵略行為にほかならず」と我が國の行爲を短絡的に斷罪して、「わが国が真摯に中国国民に対して謝罪すべきである」とか、我が國が中國と友好關係を維持するには「わが国がさらに最大限の配慮をすべきことはいうまでもない」などと教訓まで垂れてゐる。 (四)「本件事案に鑑み、前記趣旨によって、右のような極めて不幸な歴史が生じた両国をめぐる国際的背景の概略について見るに、我が国及び中国のそれぞれの歴史並びに一九世紀、二〇世紀における欧米、ロシア、アジアの各歴史は、それぞれ複雑な要素を含むものであり、また、我が国と中国との交流については、長く見れば一〇〇〇年以上にわたる交流を見るべきであり、かつ、我が国及び中国の歴史の何処を重視するのかも単純ではなく、すでに膨大な文献等があり、その見方が必ずしも一致しているわけでもなく、もとより当裁判所がそれを研究し尽くしたということもなく、ひいては、当裁判所がそれにつき言及することが本件の結論を直接左右するわけでもないというべきであろうが、わが国が中国大陸を侵略するに至った背景事情として、一九世紀以降の欧米及びロシアのアジアへの植民主義的進出や、わが国、中国、朝鮮を含むアジアの諸国の事情があったこと、一九四五年の我が国のポツダム宣言受諾によって世界平和が到来確立したというわけではなく、その後もいわゆる冷戦や、無数の「熱戦」が世界各地で繰り返されていること、「戦争被害」に関する賠償問題についての「国際法」上の取扱いという法的問題を一般的に考える上で、右のような近代及び現代における「戦争」や「侵略戦争」や「侵略行為」や「戦争被害」につき、多少なりとも見ておく必要があるとの観点から、……右に関係があると思われる極めて基本的な事項につき見ておくこととすると、以下のとおりである」。といつて、中國での明朝、朝鮮での李朝の成立、バスコ・ダ・ガマのインド到達、マゼランの世界周航、ポルトガル人の種子島上陸、レパント沖の海戰、イェルマークのシベリア征服、豐臣秀吉の朝鮮出兵、イギリスの東インド會社設立、江戸幕府の鎖國體制、オランダによるポルトガルからのマラッカの奪取、清の成立、アメリカの獨立戰爭、インドのことから、シンガポール、アヘン戰爭、香港の割讓、など延々と歴史上の事項が續いてゐる。(百一頁)  讀者は何だこれはと思ふに違ひない。傑作なのは、また括弧書で清の成立やその領土獲得、朝貢外交などを述べ、「それが「正義」かどうか、それ自体他民族に対する侵略行為でないのかどうかについては、いまだ「国際法」に基づきその「法的責任」を問われることはされていない。もとより、例えば一九世紀以前にされた右のような領土取得等に関わる問題について、そのような「国際法」が確立していたといえるのかについては、不明というほかない。」と述べてゐることである。清の領土擴大の法的責任が問題となるのであれば、いづれ豐臣秀吉の朝鮮出兵の法的責任も問題となるであらう。すると元寇の法的責任はどうなるのであらう。 (五)さうしてコソボ空爆などにもふれ、「地球規模で無数に繰り返されている民族の恨み、宗教、政治、軍事等が関わる諸々の熱い戦争、紛争が発生していることをみるとき、そのような戦争等について果たして何時どのような「国際法」が確立しているといえるのか、そもそも、民事法的観点とすれば「不法行為」以外の何ものでもない殺戮、破壊等が肯定されている戦争において、戦勝国ないし勝利者にも実際に適用されるような、真実「法」というに値するルールがどれほど確立しているといえるのか、平明率直に考えて、極めて遺憾ながら、数々の疑問があるといわざるを得ないところである。」(百一頁)  この長い部分も括弧書であるが、戰爭と一般民事事件の不法行爲と比較するなどピントはづれである。 (六)これからまた延々と、上海のイギリス租界の出現、太平天國の亂、その他條約の名前や、パリ萬國博覽會、スエズ運河開通、その他數十の項目が列擧され、日露戰爭の經緯、ポーツマス條約の締結などについて述べ、これを當時の我が國民が不滿として暴動が發生し、「このように、十分な情報がないまま客観的冷静に判断をしない日本国民が、新聞等に煽られるなどして政府や軍部以上に強硬な対外交渉を求めるという事態が、一九四五年の無条件降伏まで続いていたように見える。」(百二頁)  我が國の國民と政府との關係について、日露戰爭から大東亞戰爭終了までを一括して同じ性格を有してゐるなど、無茶苦茶な論理である。大正デモクラシーや議會政治の變遷などまつたく無視してゐる。 (七)それから、第二インターナショナルの成立、辛亥革命その他の記述が續き、中華民國の成立に至る。中華民國の成立の事情といふたつた一行の記述の説明を括弧書で六十四行に亙つて詳細に記述してゐる。そこで、革命の理想から、袁世凱の陰謀に續いて、袁世凱の行爲、その死、孫文と軍閥の依存對立などを述べてゐる。一轉してまた第一次世界大戰の勃發といふ一行の記述の後、括弧書で五十五行に亙つて、機關銃、毒ガス、Uボートといつた新兵器にまでふれて詳細に述べ、我が國が漁父の利を得て、「中国大陸への侵略行為をし続けた。そのため、わが国は、第一次世界大戦から、現代戦争の悲惨さ、長期の戦争が交戦当事国を敗戦国であろうと戦勝国であろうと国力を消耗し尽くすものであり、戦争の早期終結が何よりも重要であることを含めて、政治、外交、軍事等につき多くのことを学ぶべきであったのに、これをせず、とりわけ、そのころ以降の政治家や軍部上層部らに、外交、国際問題等についての現実感覚が乏しいものが多かったことなどから、これを痲痺させたままであり、結局、……原爆攻撃を受け、ポツダム宣言を受諾して連合国に対しほぼ無条件で降伏するほかなくなったと評するものが多い。もっとも、……第一次世界大戦から多くのことを学び損ねたというのは、ひとり我が国のみというわけではないと考えざるを得ない。」(百三頁) 以下次號に續く。 注一 前號で述べたやうに、以下頁數は判例タイムズの頁數 注二 以下の番號は、私が便宜的に付したものである。判決にも番號がついてゐるが、それとはまつたく別の番號である。 (本文は『月曜評論』誌平成十四年八月號掲載論文の元原稿です。掲載時のシリーズ名は「戰後最惡の判決」。八月號第二囘の主題は「偏向、獨善の無益な長廣舌」で、副題は「”南京問題”を通して知る裁判官の歴史認識」でした。) |