辯護士 高池 勝彦 一、はじめに 大部前から、我が國のさまざまな制度にほころびが出はじめてゐたが、最近はそれらが一擧に吹き出した感がある。銀行や證券會社、官僚機構、もちろん政治制度もさうである。外務省の弱體化や不祥事もかなり拔本的な改革をしなければをさまらない。 その中で、比較的問題がないやうにみえたのが、裁判所や檢察廳といつた司法制度である。しかし、あらゆる制度は人間が作り出したものであるから、人間に問題があるのであれば、司法制度だけに問題が生じないといふことはあり得ない。裁判官や檢察官が逮捕される事例が前よりも多くなつてきたのは、當然ともいへよう。ついでにいへば、辯護士會はずつと以前から問題が大ありで、これは最近の問題ではない。 ここで問題にしたいのは、個人的な不祥事ではなく、裁判の審理の内容や判決に常識から判斷して理解できないものが増えてきたといふことである。この傾向は民事刑事兩方に見られるが、民事の中で歴史觀にかかはるものに絞つて考へてみたい。 民事裁判には、昔から政治的に偏向してゐると思はれる判決はあつた。しかし、それらは、著名な(裁判官をやめてから)左翼裁判官が出した特異な判決といつたものであつたが、最近の問題判決は、左翼裁判官ばかりではなく、ノンポリではないかと思はれる若い裁判官によるものが少なくない。これは、日本國憲法の基礎にある偏つた價値觀が定着してゐることを示すものであらう。廣い意味では、若い裁判官ではないが、愛媛玉串訴訟最高裁判決(注一)もこれに含まれる。 ここで、私が、戰後最惡の判決であると思ふ判決を紹介したい。それからこの裁判の影響あるいは同じ系列に屬すると思はれる判決について簡單に述べ、あはせて珍しくりつぱな判決であると思はれるものについても述べてみたい。 二、中國人被害者損害賠償事件(注二) これが私が日本の戰後最惡であると考へてゐる判決である。判決原文は、五百六十四頁にも及ぶものである(當事者の主張など別紙部分を除いても實質二百十一頁)。判決當日判決要旨と呼ばれるものがマスコミに配付されたが、この判決要旨でも三十八頁で、通常の判決なみの長さであつた。この判決要旨については、藤岡信勝東大教授の批判がある(注三)。私は平成十二年はじめ、この判決全文を手に入れて讀み、判決要旨よりも一層惡質であり、裁判官彈劾事由に當るのではないかとさへ思つてゐる。この判決は、きはめて偏向してゐるばかりではなく、獨斷や誤つた事實も多く含まれてをり、あたかも中國政府の宣傳文書のごとくである。私は、折にふれてこの事實を指摘してゐるが、餘り反響がないので、改めて讀者にその内容を知つてもらひたくて本文を執筆した。 1、事案の概要 平成七年の秋頃、東京地方裁判所に、十名の中國人が國を相手に損害賠償を求めて裁判を起こした。注二のとほり、平成十一年九月二十二日、原告等の敗訴判決が下された。原告等はその後、東京高裁に控訴した。控訴の結果はまだ不明である。 十名の原告等は、いづれも日本軍による戰爭被害の賠償を請求したもので、その内譯は、南京事件の犧牲者であると稱する李秀英といふ女性、親戚が七三一部隊で殺され、自分もその關聯で、ハルビンで、憲法隊に拷問を受けたといふ男性、福建省の永安市で、日本軍の大規模な無差別爆撃で右腕を失つたといふ男性、それに、七三一部隊で殺された者の遺族である。 なほ、原告の一人の李秀英は、『南京虐殺への大疑問』の著者及び出版社を相手に、平成十一年九月十七日、東京地裁で裁判を起した。この本は、南京事件に關する研究書で、その中に、李秀英について、あちらこちらで述べられたり書かかれたりしてゐることを分析し、疑問を提示した部分がある。その疑問について、自分は南京事件の犧牲者として國際的に有名である、その自分にけちをつけたのは名譽毀損であるとして損害賠償を求めて裁判を起したものである。數十名の、國に對する裁判と同じ日本人辯護士がついてをり、私は、著者側(被告側)でこの裁判を擔當してゐるが、驚いたことに、平成十四年五月十日、被告側は、敗訴判決を受け、直ちに東京高裁に控訴した。控訴審はまだ始つてゐない。 2、原告等の主張の根據および判決の結論 原告等が受けたと稱する不法行爲について、ヘーグ陸戰條約に基いて個人が直接交戰當事國に對して損害賠償を請求できるといふのが、原告等の主張である。裁判所は、原告等にそのやうな權利はないとした。 3、判決の手順 右のやうな判決を出すためには、論理的には、李秀英の例では、まず彼女が南京事件の犧牲者であるかどうか、それには彼女が暴行を受けたかどうか、それが日本兵によるものであるかどうか、について審理し、犧牲者であるとしたら、それについて日本政府が責任があるかどうか、責任があるとしても數十年をへて、個人が戰爭被害について國が國際法上どのやうな責任を負ふのかどうかといふ順に判斷されることになるが、被告側敗訴の場合には、必ずしもそのやうな手順を踏まないで、結論を出すのにもつとも經濟的な審理をするのが普通である。 すなはち、李秀英が南京事件の被害者であるかどうかについて厖大な資料と時間をかけて被害者であると認定したとしても、個人が戰爭被害について加害國に請求する權利がないとしたら結局李秀英は損害賠償を受けることができないのであるから、それまでの厖大な審理は無駄になつてしまふことになる。そこで、まづ國際法上個人が戰爭被害について加害國に請求する權利があるかどうか審理し、あるとしたら、その個人がはたして戰爭の被害者であるかどうか、次にその被害について加害國に責任があるかどうかといふ順に審理するのである。 個人間の訴訟でも、たとへば、甲が乙に金を貸して、數十年何の催促もせずに、返してくれといふ訴訟の場合、まづ金を貸したかどうかを詳細に審理し、金を貸したと認定したとして、乙が、しかし、數十年も催促を受けなかつたのであるから、その請求權は消滅時效にかかつてゐると主張した場合、甲は乙から返濟を受けることができない。さうすると、金を貸したかどうかはともかくとして最初から消滅時效で判斷した方が審理上經濟的であることになる。そこで、甲が乙に金を貸したかどうかはともかくとして、甲の請求權が消滅時效にかかつてゐるかどうかを判斷し、かかつてゐるとしたら、消滅時效の要件をみたしてゐるかどうかについての審理が行はれるのである。 本件でも同樣で、被告國は、「要するに、仮に原告ら主張のとおりの事実関係があったとしても、その損害につき、原告らが個人としてわが国に対して直接損害賠償を求める権利はない」とだけ答辯してゐる(九十八頁、注四)。もちろん、國はその國際法上の根據を詳細に展開してゐるが、李秀英が南京事件の被害者であるかどうかについてはまつたく答辯してゐない。 注一 平成九年四月二日、判例時報一六〇一・四七 注二 平成十一年九月二十二日、判例タイムズ一〇二八 注三 平成十一年十一月八日産經新聞正論欄 注四 以下頁數は、右判例タイムズの頁數 (本文は『月曜評論』誌平成十四年七月號掲載論文の元原稿です。掲載時のシリーズ名は「戰後最惡の判決」。七月號第一囘の主題は「これは中國政府の宣傳文書か」で、副題は「”南京問題”を通して知る裁判官の歴史認識」でした。なほ、筆者紹介は、「たかいけ・かつひこ 昭和十七年、東京生れ。早大法學部卒、同大學院修士課程終了。スタンフォード大ロースクール卒」でした) |