辯護士 高池 勝彦
前囘まで、中國人被害者損害賠償事件の東京地裁判決について書いた。今囘から、この判決と似た傾向の判決をとりあげる。
關釜元從軍慰安婦訴訟
一審判決 山口地裁下關支部平成十年四月二十七日(注一)
(1)事案の概要
原告等はいづれもいはゆる從軍慰安婦と女子勤勞挺身隊員であつた韓國人女性であり、國に對し損害賠償と、國會及び國連總會における公式の謝罪を請求した。
原告等は、元慰安婦については、帝國日本が原告等を上海及び臺灣等の慰安所に強制連行し、長期間複數の軍人との性交渉を強要したこと、挺身隊員については、帝國日本が原告等を日本に強制連行し、不二越鋼材工業富山工場等の軍需工場において長期間肉體勞働に從事させたと主張してゐる。
裁判所は例によつて、次のとほり、ほぼ原告の主張どほりの事實を認めてゐる。原告等および國の主張と對比させながら述べる。
一、慰安婦について
まづ、被告國がみづから認めてゐる事實は次のとほりである。
昭和七年ころから終戦まで、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したこと、慰安所は当時の軍当局の要請により設置されたものであること、敗走という混乱した状況下で、慰安婦等の婦女子が現地に置き去りにされる事例があったこと、及び戦地に移送された慰安婦の出身地としては、日本人を除けば、朝鮮半島出身者が多かったことは認める。
(略)
慰安婦の募集については、軍当局の要請を受けた経営者の依頼によりあっせん業者らが当ることが多かったが、その場合でも、業者らが甘言をろうし、あるいは、畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して募集する場合が多く、また、官憲等が直接これに加担するなどの場合も見られたこと、及び業者が慰安婦等の婦女子を船舶等で輸送するに際して、旧日本軍が慰安婦の人たちを特別に軍属に準じた扱いするなどして渡航申請に許可を与え、日本政府が身分証明書の等の発給を行い、あるいは、慰安婦等の婦女子を、軍の船舶や車両によって戦地に運んだ場合もあったことは認める。
慰安所の多くは、民間業者により経営されていたが、一部地域においては、旧日本軍が直接慰安所を経営していた事例が存在したこと、民間業者の経営にかかる場合においても、旧日本軍において、その開設に許可を与え、あるいは慰安所の施設を整備したり、慰安婦や慰安所の利用時間・利用料金や利用に際しての注意事項などを定めるほか、利用者に避妊具使用を義務付け、あるいは、軍医が定期的に慰安婦の性病等の病気の検査を行うなどの措置を採り、さらには、慰安婦に対して外出の時間や場所を限定するなどしていたところもあったことは認める。
この文言は、平成五年八月四日、宮澤内閣の河野洋平官房長官談話の文言とほぼ同じである(注二)。後に述べるやうに、この河野談話は、事實に基くものではない。しかも、國は、個々の原告の被害態樣についてはまつたく何の反論も反證もしてゐない。そこで裁判所は、
反証はまったくないものの、高齢のためか、慰安婦原告らの陳述書やその本人尋問の結果によっても,同原告らが慰安婦とされた経緯や慰安所の実態等については、なお明瞭かつ詳細な事実の確定がほとんど不可能な証拠状態にあるため、ここでは、ひとまず証拠の内容を摘記した上、末尾においてその証拠価値を吟味し、確実と思われる事実を認定する。
と述べて、國の答辯と原告等の主張から、個々の原告について、どういふ家庭であつたか、どうやつて家から連れ出されたか、どのやうに慰安婦となつたか、慰安婦としての生活はどうであつたか、などほぼ各原告の主張どほり詳細な事實を認めてゐる。その理由を次のやうに述べる。
慰安婦原告らが慰安婦とされた経緯は、必ずしも判然としておらず、慰安所の主人等についても人物を特定するに足りる材料に乏しい。また、慰安所の所在地も上海近辺、台湾という以上に出ないし、慰安所の設置、管理のあり方も、肝心の旧軍隊の関わりようが明瞭でなく、部隊名すらわからない。
しかしながら、慰安婦原告らがいずれも貧困家庭に生まれ、教育も十分でなかったことに加えて、現在、同原告らがいずれも高齢に達していることをも考慮すると、その陳述や供述内容が断片的であり、視野の狭い、極く身近な事柄に限られてくるのもいたし方がないというべきであって、その具体性に乏しさのゆえに、同原告らの陳述や供述の信用性が傷つくものではない。かえって、……慰安婦原告らは、自らが慰安婦であった屈辱の過去を長く隠し続け、本訴に至って初めこれを明らかにした事実とその重みに鑑みれば本訴における同原告らの陳述や供述は、むしろ、同原告らの打ち消しがたい原体験に属するものとして、その信用性は高いと評価され、先のとおりに反証のまったくない本件においては、これをすべて採用することができるというべきである。
これは異常な判斷である。もつとも、後で述べるやうに、慰安婦については、國に損害賠償義務を認めてゐるのであるから(この點自體は後述のやうに、奇想天外としか言へない論理で認めてゐるのであり誤りであるが)、慰安婦の被害の有無について判斷をしなければならない。そして國が具體的な反證を提出しないのであるから、ある程度原告の主張を取入れた判斷となるであらうが、このやうに原告等の言ひ分を全部認めることにはならない。
しかも、このやうな原告等の主張が本當に事實かどうか。本件の元慰安婦ではないが、平成十三年十二月六日、東京地裁に提訴されたいはゆる「アジア太平洋戰爭韓國人犧牲者補償請求事件」における慰安婦の事實に關する主張には疑問が多いことは學者によつても指摘されてゐる(注三)。本件の慰安婦の主張も東京地裁の慰安婦の主張と似たものであるので、詳細に檢討すればかなり疑問があるものではないだらうか。
しかし、前囘まで述べた、中國人被害者損害賠償請求事件の場合、不必要な事實認定であると非難したことはあたらない。問題は國の賠償義務の判斷が妥當かどうかである。
二、女子勤勞挺身隊について
勤勞挺身隊の原告等の具體的な状況についても慰安婦の場合と同樣、原告等の主張をほぼ認めた詳細な認定をしてゐる。
判決はいふ。
女子挺身隊の実態はなお解明不十分であり、また、同原告らの陳述等の間にも、若干の食い違いや整合的な理解が困難な部分があったり、逆に、過度の一致から記憶の相互干渉が疑われる部分があったりするため、必ずしも全面的に正確ということは出来ない。しかし、有力な反証もなく、また、これらの陳述等が、信用性判断の重要な基準とされる事実と感情との自然な絡み、関連性を含むことからして、それらが同原告らの原体験に基づくものであることに疑いはなく、たとえ細部に記憶違いがあるとしても、大筋においては信用できると考える。
挺身隊については、国の責任をまつたく認めてゐないのであるから、これは不必要な判断である。それなのに、それぞれの原告について、國民學校の擔當の先生がかう言つてだまされて、富山工場に強制連行され、給料もまつたくもらへなかつたとか、お花を習はせるといふ約束だつたのに結局習はせてはくれなかつたとか、詳細な認定をしてゐるのは例によつて例の如しといふほかない。
しかも、認定された事實もとても眞實と思はれない部分が多く、「大筋において信用できる」とはいへないのではないだらうか。たとへば、國が出した資料によれば、原告等のそれぞれについて標準報酬等級が定められてゐるのに、どの原告も賃金を一錢ももらつてゐないと主張してゐるのである。
(2)法律的な主張と判斷
裁判所は原告等の法律的な主張について、「原告等の主張はいづれも必ずしも明快ではなく、その本旨とするところは正確にはとらえ難い」といつて、次のやうに要約してゐる。
1日本国憲法は、その制定前の過去の帝国日本の戦争と植民地支配を違法な侵害と認め、被告に対し、日本国憲法上の現在の義務として、その被害者たる個人への公式謝罪と賠償を命じているか(「道義的国家足るべき義務」に基づく請求)。
2日本国憲法上の義務としてではなく、右戦争と植民地支配当時の明治憲法上の義務として、同憲法二七条の適用による損失補償は可能か。
3日本国憲法制定前の過去の侵害ではなく、これを長年にわたって放置した現在の不作為による侵害として、日本国憲法が被告に対し、公式謝罪と賠償を命じているか(立法不作為による請求)。
4挺身隊原告らについては、さらに契約責任の追及としての賠償は可能か(「挺身隊勤労契約」の債務不履行による請求)。
1について、裁判所の要約による原告等の主張の中で、ポツダム宣言や同宣言が引用してゐるカイロ宣言が日本國憲法の根本規範であるといふ主張がある。「カイロ宣言は明治以来の帝国日本の領土拡張を侵略として否定的に評価し、その結果の回復を要求している」から日本國憲法もこれと同一の認識に立つてゐるとしてゐるが、自衞戰爭を戰つてゐる日本に對する降伏を要求する文書であるポツダム宣言やカイロ宣言が日本國憲法の根本規範であるなどといふことは、驚くべき主張である。判決は、ポツダム宣言は我が國がそれを受諾して降伏し、その受諾から憲法改正が不可避となつたことが通説的見解であり、その國内改革の要求にこたへて作られたのが日本國憲法あるから、同宣言は日本國憲法の根本規範であるといふ。しかし、カイロ宣言は「戦争目的の正当性を表明した極めて政治的、軍事的色彩の強い文書」であり、日本國憲法の根本規範ではないといふ。
カイロ宣言だけではなく、ポツダム宣言も「戦争目的の正当性を表明した極めて政治的、軍事的色彩の強い文書」であることにはかはりはないのであるから、それを我が國の根本規範であるといふことには強い抵抗感がある。我が國はポツダム宣言を受諾して降伏したのであり、ポツダム宣言は國際條約の性格を有してをり、少なくとも當時においては我が國にはポツダム宣言を履行する義務があつた。しかし、憲法改正する義務までは要求してをらず、日本國憲法擁護の教祖である宮澤俊義教授でさへ、大日本帝國憲法を改正する必要がないといつてゐたのである。判決が、憲法改正が不可避であるとはいつてもそれは占領軍の國際法無視のごり押しであり、理論的なものではない。これはいはゆる東京裁判史觀に汚染された考へ方である。それを我が國の根本規範であるといふことはできないのではないか。
しかしひるがへつて考へてみると、カイロ宣言もポツダム宣言も日本國憲法の根本規範であるといふ原告等の主張は案外正しいのかも知れない。したがつて、歴史學者の多くが、我が國の近現代史の歩みは、大東亞戰爭はおろか日清日露戰爭も含めて、アジア侵略の歩みであるとする歴史觀を主張してゐるのは、彼らがカイロ宣言やポツダム宣言を我が國の根本規範であると考へてゐるからであることがわかる。
それはさておき、判決は、ポツダム宣言が日本國憲法の根本規範であるとはいつても、「ポツダム宣言が、帝国日本の戦争と植民地支配の被害者個々人に対し、直接の謝罪と賠償を命じているとは解し難い。」といつてゐる。
その他の、1の内容として原告等は平和的生存權なるものを主張してゐるが、「過去の帝国日本の侵略戦争と植民地支配がアジアの人々に深刻な被害を与えてきたことについて、道義的には、日本国民一人一人が加害者としての責任を素直に認め、これを深く反省し、陳謝すべきであるのは当然であるとしても、日本国憲法前文及び九条が被告に対し、侵略戦争と植民地支配の被害者個々人に対する直接の謝罪と賠償を具体的内容とする法的義務を負わせていると解することはできない。」結論はともかく、判決によれば、日本人は一人一人、道義的にアジアの人々に對し、陳謝しなければいけないやうである。
「道義的国家足るべき義務」についても判決は、法的義務と道義的義務との區別が曖昧であるなど、具體的權利ではないとして原告等の主張を認めなかつた。
しかし、その論旨の中で、東京裁判史觀を信ずる者にふさはしい次のやうな見解を披瀝してゐる。
ポツダム宣言中の軍国主義駆逐、除去規定、戦争犯罪人処罰規定に照らすと、帝国日本こそ「自国のことのみに専念して他国を無視し」た国家であったとの認識と反省が背景にあるように読みとれ、事実註解日本国憲法(法学協会)上巻五五頁には、明確にその趣旨が述べられていて、それは、明治憲法から日本国憲法への転換を直接に体験した世代の法学者には自明のことであったと思われる……。
2の明治憲法二十七條(注四)に基く損失補償請求についても、判決は、補償立法が存在しないのであるから、認められないとした。
3の立法不作意については次囘に述べるとして、4の「挺身隊勤勞契約」の債務不履行責任についても、判決は認めない。
「挺身隊に行けば勉強もさせてもらえるし、給料もいい。」「日本に仕事をしに行けば、生け花、裁縫が習える。」などとの勧誘がなされたことは事実として認められるが、……女子挺身勤労令等は、いずれも國家総動員法に最終の根拠を置くいわゆる非常時の動員法規であり、……同原告らと帝国日本との関係は、すべて右動員法規によって規律される公法関係というべきであり、この間に、同原告ら主張するような一般私法上の権利義務関係を内容とする合意が介在する余地はない。