TIME誌の反日記事批判 ― 日本の裁判所判決について
高 池 勝 彦
私は、タイムを講讀してゐるが、九月十一日號を八日前の九月三日に受け取つた。ニューヨーク世界貿易センタービルなどのテロ事件の一周年の特集號である。開いて驚いた。最初の三頁、新聞でいへば一面トップの大きな記事がテロ事件の記事ではない。五頁目からはじまるテロ事件の見出し、「この一年何がかはつたか」といふ見出しよりも大きな「黒い死」といふ見出しと、泣いてゐるやうな老人の寫眞などが載つてゐる。キャプションに「第二次大戰で、日本は中國を恐ろしい生物化學戰爭の實驗場として使つた。何年も否定しつづけてきたが、侵略者はやうやく態度を改めてきた」とある。
タイムの事實を歪曲した反日記事はしばしば目にしてゐるので、またかと思つて讀んだが、當時の滿洲國のハルビンに作られた七三一部隊について、今年の八月二十七日、東京地裁でくだされた判決關聯の記事であつた。その内容は、次のやうに惡意にみちてゐる。
七三一部隊は、中國で、人體實驗をし、ペスト菌やその他の細菌類を培養してねずみやノミに移して、飛行機から大規模にばらまいた。それに感染して厖大な犧牲者が出た、その犧牲者が賠償を求めて裁判を起した。黒い死といふのは、中世のヨーロッパの黒死病(ペスト)を指してゐる。
日本政府は今まで證據がないとして否定してきた。何十年もたつて、普通の日本人は、こつそりと悔恨を示し、それが政府ではなく裁判所に反映したのだ。この裁判所の例として、福岡の裁判所は、三井炭坑で戰爭中働かせた十五人の中國人に一人一・四萬ドルの支拂を命じた(日本政府は四萬人の中國人を強制的に日本に連行したといふ)。去年の八月には、京都の裁判所は、十五人の強制連行された韓國人が乘つた船が爆發して沈沒したことについて損害賠償を認めた。また昨年、東京地裁は、中國から奴隸勞働者として連行されて働かされ、昭和二十年に北海道の山中に、天皇が降伏したことを知らないで、十三年間も逃走してゐた中國人の子どもに對して十七萬ドルの賠償を認めた。かういふ裁判所の態度は、過去の事實を否定したり改變したり埋もれさせようとしてゐる保守派からの驚くべき決別である。
中學校の教科書も、今まで三十萬人の市民が虐殺されたと書いてゐたのに、右翼の壓力に屈して事件と書くやうになつた。年取つた政治家たちが、占領地區の市民が日本の占領に感謝したとか、帝國陸軍兵士の性奴隸にさせられた女性たちがすすんで賣春婦になつたのだといふのを聞くと、北朝鮮のやうな、ならず者制度の指導者が日本を政治的コビトと呼ぶのさへ思慮があるやうに聞える。
普通の日本人は、次第に、政府が望まなくても、何があつたのか知りたいと思ふやうになつてきた。紀伊國屋書店に行くと、少し前にはわづかしか賣れなかつた日本の戰爭有罪に關する本が何十册もならんでゐる。元兵士たちの告白記録が修正主義者たちの本の隣にある。明治大學の歴史專攻の一年生の調査では、つねに三分の二以上の學生が、日本は戰爭の過去の償ひをあまりにしないと信じてゐる。
石井部隊のやつたことは、中國人ばかりではなく、ロシア人、イギリス人、アメリカ人などを丸太として、生きたまま凍らせたり、生きたまま燃やしたり、腹部が破裂するまで眞空の部屋に入れたり、人間がどのくらい逆さまの状態で生きてゐられるかを試したり、細菌の感染の實驗もして、三千から一万二千の丸太が死んだ。七三一部隊では誰も生き殘らなかつた。そして、體驗者と稱する者の話を載せ、どうして公的にこの問題が語られないかといふ一つの理由は、自民黨が長年にわたつて政權をにぎつてゐるからである。自民黨は、八萬の神社を代表してゐる、何百萬といふ支持者のゐる強大な神道聯盟に恩誼を感じてゐるからである。
この忠實な保守的な組織は、性奴隸や他の日本の侵略による犧牲者に對する補償に反對し、日本は西洋の植民地主義から隣人たちを解放するために外國で戰つたのだといひつづけてゐる。自民黨議員の約半分が神道聯盟の催しに參加したり、寄付をしたりしてゐる。
中國政府や中國人の態度について觸れ、日本軍がおいてきた化學彈の處理について、その化學彈で被害を受けた中國人の裁判が來年東京で行はれる。
以上のタイムの記事の内容は、いかにも惡意をもつて書かれてゐる。しかも、當然の事實を除けば、事實關係についてもほとんど誤りである。神道聯盟がこのやうに巨大な組織であらうか。教科書の南京事件の誤つた記述が改められたであらうか。
このやうな記事が書かれるやうになつた背景は、やはり我が國の國内事情にある。現にこの記事も署名からすると日本人である。
私の印象では、タイムに限らず、英米の雜誌新聞などの不正確な事實で日本を非難する記事は、昭和五十七年の教科書誤報事件からしばらくたつてから始つたやうに思ふ。我が國の教科書が極端に惡くなるのもこのときからである。
平成三年十二月二日號は、眞珠灣の五十周年特集であつた。眞珠灣からヨーロッパ戰線に至るまで第二次大戰を概觀した記事と寫眞の中に、無防備の上海に對する日本軍による空襲と一ヵ月以内に二十萬人以上の市民を虐殺した南京大虐殺の記事と、まはりで見物しながら銃劍で突き刺してゐる寫眞が掲載され、南京事件で市民を刺殺してゐるといふキャプションがつけられてゐた。これはまつたく中國側の宣傳寫眞であり、二十萬人以上の市民の虐殺もあり得ない。そこで、私はタイムの編集者に手紙を書いて、以上の事實は誤りであるから、正確に調べてもらひたいと抗議した。返事を期待してゐなかつたが、一ヵ月ほどしてから返事がきた。我々は、記事の内容を、もつとも權威のある書籍などで、きはめて注意してチェックしてゐる。その一つは、トータル・ウォー(注一) である。我々は記事の正確さには非常に自信を持つてゐる、と書いてあつた。居直つたなと思つたが、アマゾンで本を取り寄せてみた。二册で、一千二百頁以上ある浩瀚な本で、出典は、東京裁判の記録のやうであつた。
要するに、日本側が事實を反論せず、事なかれ主義で謝罪しつづけることによつて、ますますこのやうな記事が増えるばかりではなく、我が國の内部に誤つた事實を正しいと信じるものが増えてきてゐる。恐るべきことは裁判官にもそのやうな考へ方をするものが増えてきてゐることである。今囘の判決もその一つである。
判決の内容を見てみよう。
中國人百八十人が國に對して、七三一部隊による細菌戰による被害および戰後それを隱蔽し、救濟措置を怠つたことについて謝罪と各一千萬圓の損害賠償を求めた。
その根據は、ヘーグ陸戰條約三條ないしこれを内容とする國際慣習法、法例十一條一項を媒介とする中國法、日本民法、條理、立法不作意、隱蔽行爲などに基づく損害賠償請求權などである。ヘーグ陸戰條約三條は、このやう訴訟でいつも使はれる國際條約の條文であり(注二)、他は、中國人が國相手の訴訟でいつも法的根據としてあげるものである。
裁判所は、七三一部隊による細菌戰の内容について事實認定をする前に、條約の解釋方法、ヘーグ陸戰條約三條の解釋などについて、原告等があげてゐる各國の事例、この條約の制定過程での議論などを、たぶん被告國のあげた證據をもとに詳細に分析して、「3条の規定は被害者個人の損害賠償請求権を認めていないのであるから、結局、この点に関する原告らの主張は理由がない」と判斷した。
その他の立法不作意によるものを除いた爭點について、詳細な分析をしてすべて原告等の請求を認められないとした。文體にも節度があり、妥當な判斷である。
ところが、立法不作意について、次のやうな問題のある判斷をしてゐる。
原告等の主張は、國會や内閣が細菌戰被害者に對する救濟措置立法を怠つてきたことが違法な不作意に當るとするものであるが、裁判所は一般的にはそのやうな立法の不作意は認められないといふ。立法の不作意が認められるのは、憲法の一義的な文言に反してゐるにもかかはらず、國會があへて一義的な文言に反した立法を行ひ、または立法しなかつた場合に限られるといふ。そこで、細菌戰被害者の救濟措置をとらなかつたのがこれに當るかどうか檢討するとして、細菌戰の事實の有無について判斷してゐるのである。
被告國は、この訴訟において、國際法上の理論については詳細な反論や意見を述べてゐるのに、細菌については何の反論も反證も提出しなかつた。判決は次のやうにいつてゐる。
この点については原告らが立証活動をしたのみで、被告は全く何の立証(反証)もしなかったので、本件において事実を認定するにはその点の制約ないし問題がある。また、本件の事実関係は、多方面に渡る複雑な歴史的事実に係るものであり、歴史の審判に耐え得る詳細な事実の確定は、最終的には、無制限の資料に基づく歴史学、医学、疫学、文化人類学等の関係諸科学による学問的な考察と議論に待つほかない。しかし、そのような制約ないし問題があることを認識しつつ、当裁判所としては本件の各証拠を検討すれば、少なくとも次のような事実は存在したと認定することができると考える。
これは無謀であるなどといふどころではない。その結果、實に詳細な事實認定がなされてゐるのである。どこの村に、日本軍機がペスト感染ノミを空中から散布し、この時の死者は一千五百一人にのぼるとか、それが周邊のなんとか村に感染し、その村の死者は三百九人にのぼるとか、さらにそれが傳播し、なんとか村では四十人以上であるとか、さらにどこそこに傳播してなんとか村では死者の合計が三百九十六人になる。
また、別の日本軍機のノミの散布により、死者何人、それによる別の村への感染の可能性が高い。どこそこにペストがひろがり、その死者は七千六百四十三人にのぼる。
日本軍はどこそこを占領し、撤退する時、コレラ菌を井戸に入れたり、餠や果物に附着させたりした細菌戰を實行して何人の死亡者が出たなど認定してゐる。合計すると一萬百七十二人以上といふことになる。
そして原告等がその犧牲者であることも「原告らの各陳述書及び本人尋問における各供述自体は十分了解し得る説得的なものである」と判斷してゐる。
そしてこの日本軍の行つた細菌戰は國際法上違法であることは明らかであるとし、國家責任がある。しかし、その國家責任は日中共同聲明と日中平和友好條約によつて決着がついてゐる。したがつて、原告等がいふやうな、國會には、それらを前提して被害者に對して被害の増大をもたらさないやう配慮すべき條理上の作意義務が課せられてゐると主張するが、そのやうな作意義務は認められない。
これがタイムの取上げた東京地裁の判決の概略である。外國人個人が日本國に對して戰爭責任を求めることは、ヘーグ陸戰條約でもその他の國際法でも認められないのであるから、犧牲者の有無を考へるまでもなく、原告等の請求は認められないのである。ただ、國會の不作意責任を問題にする場合には、個別的な事情を判斷しなければならないとして、以上の事實を述べる體裁をとつてゐるのである。これは惡い意味ではなはだ巧妙な論理構成である。しかし、法的な、國會の立法責任を問題にする場合、ここまで事實認定をする必要はないし、これだけ詳細な事實認定をするのであれば、むしろ國の立法責任を認めるはうが論理的である。判決は國に立法責任がないといふのであるから、七三一部隊に關していふならば、この部隊が存在したこと、國際法上違法な戰術を用ひたことがあつたとしても、憲法その他の法律に一義的に違反して國會が立法しなかつたかどうか判斷すれば足りるからである。
どうしても詳細な事實認定をしたいならば、細菌戰の詳細な證據調を、原告側申請ばかりではなく、反對意見を述べるものを含めて行ふべきであるが、被告の國がなにもやらうとしないのに、それは無理であるし、そもそも裁判所の性格上不可能である。
この點で、産經新聞は、九月五日の社説で、「歴史の事実認定は慎重に」とのタイトルで、この事實認定を批判してゐるのは正しい。この社説が引用してゐる『世界戦争犯罪事典』(注三)では、「中国の研究者は犠牲者として二七万人という数を挙げているが、これも一種の情報戦だろう。なお、筆者は、犠牲者は多くて一〇〇〇人程度と考えている」とある。
私はこのやうな判決の中で、最惡なものは、南京事件や七三一部隊などの被害者と稱する者がやはり國に對して損害賠償を求めて裁判をおこした事件(中國人被害者損害賠償事件、注四)であると思つてゐる。
この事件で、裁判所は、いはゆる日中戰爭ばかりではなく、明治維新以後の我が國の歴史の歩み自體を次のやうに批判してゐる。
「本件当時わが国が中国においてした各種軍事行動は、……その当時においてすら見るべき大義名分なく、かつ十分な将来的展望もないまま、独断的かつ場当たり的に展開拡大推進されたもので、中国及び中国国民に対する弁解の余地のない帝国主義的、植民地主義的意図に基づく侵略行為にほかなら」ない。
また、「右敗戦に至るまでの間に我が国がアジアの人々に対してした多大の侮辱的行為や侵略的行為について、我が国は、今後も反省し続け、将来にわたるアジアの平和と発展に寄与すべく最大限の努力をしなければならないというべきであり、これを否定することはおよそ許されないというべきである。」
七三一部隊の判決は、右中國人被害者損害賠償事件判決よりは、文體において洗煉されてゐるが、同じ系列に屬するものである。しかも具體的事例を扱ひ詳細に事實認定してゐる點で、教科書採用などにもつと影響力を發揮するかも知れない。現に朝日新聞は判決翌日の朝刊で、一面と社會面とを使つて大々的に報道し、「細菌戰の存在認定」と喜びを押さへきれないかのやうに報道してゐる。
國會の立法責任についていへば、いはゆる從軍慰安婦について、河野洋平當時内閣官房長官談話によつて、國にそのやうな慰安婦救濟についての立法責任を認めた、關釜元慰安婦事件の山口地裁下關支部の判決(注五)がある。今まで述べてきた判例の惡い傾向が行き着くところへいけばこの判決になるであらう。
平成七年版の『現代用語の基礎知識』といふ事典の、南京大虐殺の項に、犧牲者は中國側の見解によれば百萬人、少なめにみても、二、三十萬人であると記載されたことがある。これはをかしくはないかと聞かれた編者の東大の歴史學の教授は、中國の文獻に書いてあつたからだと述べたさうだが、一方、專門の學者には三十萬人説をとる學者は一人もゐないとのことであるから(注六)、この歴史學の東大教授は中國の宣傳文書の主張に迎合したのである。
同樣に、七三一部隊判決が、專門の學者ですらおほくて千人であるといつてゐる細菌戰の犧牲者を一萬人以上であるのは確實だと判斷したのは、中國の宣傳文書に迎合したのだとはいへなくても、その主張に乘つたことになる。この裁判には、何人かの大學教授などの學者も原告側の證人として證言してゐる。私は、これらの學者の證言をチェックすることはできなかつたが、判決が、證言内容とは別の判斷をしたとは考へられないので、おそらく判決と同樣の證言であつただらうと推測できる。この判決の影響は大きいといはなければならない。産經新聞の社説も指摘するやうに、この判決によつて、タイムもそれに便乘し、教科書にも裁判所が認めてゐるとして書かれる可能性が高い。
問題は國に賠償責任を認めるといふ結論なのではない。この點はいくつか國に責任を認める判決があつたとしても結局控訴審で否定されてゐるので、まだそれほど心配すべきことではない。しかし、内容については今まで述べてきたやうに、問題があり過ぎ、それらは十二分に利用されてゐる。
おびただしいいはゆる戰後補償を求める裁判が繋屬し、また將來も繋屬する可能性が高い。このやうな裁判の傾向に齒止めをかけるには、被告國が裁判上の技術的な觀點から、單に國際法上の義務がないとの點を主張するばかりではなく、南京事件とか細菌戰とか、慰安婦といつたそれぞれの問題となつてゐる事案について、專門家に依頼して答辯し、反論や反證することが必要である。
しかし、現在の政府自體のことなかれ主義や擔當檢事や辯護士の態度からはたうてい期待できない。やはり、われわれが草の根の運動として辛抱強く反論していかなければならないと思つてゐる。
最後にこのやうな判例の中にあつて、一味の涼風のやうな判例を紹介したい(注七)。
これは日本軍の捕虜または抑留者となつたオランダ人が日本軍から虐待を受けたとして國に對して損害賠償を請求した事件であるが、一審の東京地裁で請求を棄却され、二審の東京高裁でも認められなかつた。その東京高裁の判決である。文章も平明で、しかも格調が高く、簡にして要を得てゐる。
「第二次世界大戦は、最大の悲劇的な戦争であった。この戦争は、我が国にとっては、ほぼ完全に孤立無援の戦いであった(当時、同盟国であったドイツは、ユダヤ人の迫害などという究極の人種差別を推し進める国であり、我が国とは全く異なる戦争をしていたということができる。)。我が国及びその国民は、いわゆるABCD包囲網(略)により、ほとんど全ての重要資源の供給を停止される中、見通しの立たない戦争にその存立をかけることになった。そして、日本国民は、欧米の強国による植民地支配を受けてきた一部のアジア民衆にのみ精神的な連帯感を覚えたのである」。
サンフランシスコ講和会議での吉田首相の演説を引いて、「我が国が、上記のとおり、前例のない、過酷ともいえる条件を受け入れ、誠実にその履行を果たしたのは……連合国による占領状態から早期に独立し、主権国家として、国際社会に復帰して、連合国との友好関係に入るためであった。」
「このように、連合国国民の個人としての請求権を含めて、一切の請求権が放棄されたのは、我が国が、敗戦により、海外の領土の没収だけではなく、連合国内のみならず、中国、台湾、朝鮮等にあった日本国民の財産までもが賠償の原資とされるといった過酷な負担の見返りであった。また、それは、将来における日本の復興と国際社会への貢献を期待しての措置であったのである。」
注一PETER CALVOCORESSI, GUY WINT & JOHON PRITCHARD, THE
TOTAL WAR: THE CAUSES AND COURSES OF THE SECOND WORLD WAR (2nd ed. 1989) その後、日本語の飜譯があることを知つた。平成三年十月三十日河出書房新社。
注二 ヘーグ陸戰條約第三條 前記規則(ヘーグ陸戰規則)ノ條項ニ違反シタル交戰當事者ハ、損害アルトキハ、之カ賠償ノ責ヲ負フヘキモノトス。交戰當事者ハ、其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行爲ニ付責任ヲ負フ。
注三 平成十四年文藝春秋社發行。
注四 平成九年四月二日判決。判例タイムズ一〇二八・九二。なほ私は、この判決について現在月刊誌『月曜評論』に連載中である。今までのところ、七、八、九月號に解説した。この事件は、原告側が敗訴して、控訴し、現在東京高裁で審理中である。
注五 平成十年四月二十七日判決。判例時報一六四二・二四。もつともこの判決は、廣島高裁において原告等勝訴部分はすべて棄却された。平成十三年三月二十九日判決。判例時報一七五九・四二。
注六 五十嵐武士・北岡伸一編『争論・東京裁判とな何だったのか』平成九年築地書館二二四頁。
注七 平成十三年十月十一日判決。判例時報一七六九・六一。
上記は、『諸君!』平成14年11月號174〜181頁掲載の 「
偏見と惡意に滿ちた『TIME』反日記事 黒い死を支えるイカサマ判決」の元の原稿です。